言霊百神│しめ縄⑨ これと同じく石上神宮の日文四十八音は布留の御魂(高千穂の奇振嶽)が組立てられる順序を示すものであると云われるが、然もその順序を持って四十八音が布留の社(八咫鏡)を構成する内容そのものである。まことに麻邇運用の底知れぬほど…続きを読む
言霊百神│しめ縄⑧ 「タトヨツテヤユヱケメ、クムスルソセホヘ、フモハヌラサロレノネカマナコ」と云う一連の真言陀羅尼は岐美二神の子(子音)である実相が生まれる順序である。然もその順序を示す此の三十二音は同時にその順序を以て生まれ出るそれぞれの…続きを読む
言霊百神│しめ縄⑦ この循環は云わば映写機のフィルムの回転のようなもので、これが宇宙と云う広々としたスクリーンに写った映像を森羅万象である。我々はその映像を見て喜怒哀楽、栄枯盛衰、利害得失に迷ったり、神仏とか霊魂とか云われるものの実体をその…続きを読む
言霊百神│しめ縄⑥ その善しと見給うことを自覚と云い自証と云う。自覚と自証を経なければその事象は真実事実ではない。「成る程」と云う自覚自証を経た真実が諸法実相であって、その実相の正体は名であり言葉である。辟支仏と云うのは真奈井から真奈が自由…続きを読む
言霊百神│しめ縄⑤ すなわちそれは頭脳の真奈井から出た未鳴が音声と云う現象となり、更に再び真奈に戻る往還の過程であって、この過程が「一念」である。それは人間の霊魂、精神として存在し活動する神が意志して事象を生み、その事象の名を改めて神が聞召…続きを読む
言霊百神│しめ縄④ ナワはまた名輪である。輪とは初めのアから出て、再び元の初めに帰って来る循環の姿である。その帰って来た終わりをワと云う。先天である生命意志の顕現として頭脳に発生した理念が、その間肉体の諸機能諸機関と相呼応し呼び合って結び付…続きを読む
言霊百神│しめ縄③ 先天である実在が識の力によって後天である実相を産み出す営みが岐美二神の婚(よば)いである。それは霊と体の呼び合いであると共に、実在と識との呼び合いであって、この産霊(むすび)である婚いの姿を象(かたちど)った咒物が「しめ…続きを読む
言霊百神│しめ縄② 『大毘盧遮那経』に「真言の相は諸仏の所作に非ずして、如来の出不出に拘わらず法爾として住す。これを真言といふ」とある。真言真奈は如来本具のものであって、仏陀が創ったものではなく、仏陀自体の属性であると説く。 更に空海はこの…続きを読む
言霊百神│しめ縄① 神社神道に咒物としてしめなわ(注連縄・七五三縄・尻久米縄・〆縄)がある。しめは神を示す標であり、また締でもあると云われるが、なわは名和、七五三はその数が並ぶ魔法陣洛書のことである。それには九つの目があるから久米(九目)と…続きを読む
言霊百神│種智㉑ さて、三十二子音の創生に就いて説いたところはまことに他愛のない語呂合わせの様な解釈のように見えようが、『古事記』の記事は咒文であるから明確には解し得ない。『古事記』をコジツケと読むことも出来る。道理が貫かれるならばその解…続きを読む