島田正路の言霊:言霊とは

 人間が考えたり、しゃべったり、やったりする時、すべて言葉によっています。言葉に出さずただ考えている時でさえ、実は頭の中を無言の言葉がかけめぐっています。言葉がない時、人間の精神活動は全く無為です。言葉なくして人間の文化も文明もありません。言葉はそれぞれ究極的には五十個の単音の組合せで成り立っています。とすると、その五十個の単音の一つひとつは何なのでしょうか。一見その一音一音には何の意味もなくただ人間の口が偶然に出し得る発音でしかないように思われます。そしてその個々の組合せでできている種々の言葉、事物の名前等も偶然と習慣で決定された社会の約束事ぐらいにしか思われないかも知れません。
 しかし、事実はどうなのでしょうか。
 科学者は長い年月をかけて物質世界の謎の解明に挑み、物とは何であるのか、を解明してきました。そして私達が手に触れ、目で見得る物質の、これ以上分割できない究極要素として水素とか酸素とかの元素を発見し、それぞれに名をつけました。さらに近代の原子物理学はそれら元素の内容に踏み入り、その先天的構造内容である電子、原子核またその内容である陽子、中性子等々の諸核子を発見しました。物質の根本構造が完全に解明される日もそう遠いことではないでしょう。
 今、人間が、以上の物質科学とは正反対の方向、すなわち考える人間の精神の主体の方向にどこまでもどこまでも顧み踏み入って、もうこれ以上分析することができない根底のところまで進んだらどうでしょうか。その時人間はその究極点に至ってちょうど五十個の人間精神の根源構成要素に逢着します。人間が人間である限りその生命現象はこの五十個の根本要素の範疇領域をはみ出すこともなく、またこの五十個以下であることも決してあり得ません。
 遠い昔、日本人の先祖はこのことを発見し、この五十個の根源要素に五十の清音の単音を当てはめて命名しました。それぞれの根源要素は人間生命活動そのものであり、力動であり、霊(タマ)であります。それに言葉としての単音を名付けましたので、これを言霊=コトタマと申します。現代の言語学者がいう言霊が、言葉の魂、すなわち言の霊であるのに対して、ここで取り上げる言霊はあくまで言と霊の一体となったもの、すなわちコトタマであります。
 日本の昔からある言葉すなわち大和言葉は、一つひとつの事物の実相をこの生命の本源の言霊を結合し表現することによって制定されたのでした。例えば科学において、水が水素二原子と酸素一原子の化合によって成り立っているためH2Oの記号で示されるのと同じように、一つひとつの事物の実相を、言霊の結び合わせによって名をつけました。
 言霊の一つひとつが精神生命現象の確定した明白な部分部分でありますので、その結合である事物の名前は、何らの議論の余地なくその事物の実相そのままを表現します。すべての事物の名前を名付ける基本の言葉でありますゆえ、言霊のことを「言葉の言葉」ということができます。また人間精神とは五十個の言霊の総合でありますので、その五十個の言霊を順序よく並べることにとって人間精神の全構造を表示することができます。アイウエオ五十音図とは五十個の言霊の配列によって示された人間精神の構造図なのであります。