島田正路の言霊:父韻

母音・半母音のうち残ったのは言霊イとヰです。前にも言霊イ・ヰの理解はなかなか難しいと申しました。なぜなら、これが、「現象が起こる」ということが実際にはどうゆうことなのか、という事物認識の根本に関係しているからです。誇張でも何でもなく、過去数千年の間、各宗教、哲学その他種々の精神探究が真理の究極の目標とし、しかもいまだ解明することができないでいる、人間精神の最終の命題であるからなのです。いまその課題を言霊イ・ヰの立場から説明していきましょう。
 ここに一本の木が立っています。この立っている、ということはどうゆうことなのでしょうか。立っていると見ている人がいなければ立っているか否かが分かりません。また木が物として存在しなければ見ることができません。現象があるということはこのように見る主体と見られる客体双方に関係します。現象の認識は単に物があることを見る、という五感認識言霊ウばかりとは限りません。体験認識の体系化である言霊オの次元、感情界のアの次元、事物の選択に関する道徳政治等々の高度の次元にも起こります。
 これらすべての現象において純粋の主体であるアオウエと純粋の客体であるワヲウヱはどういう経緯で現象を生むのでしょうか。
 例えばここに鐘があります。棒で突きます。鐘が振動して空気を震わせます。空気中に波動が起こります。しかしこの波動自体がゴーンという音を立てているわけではありません。その波動が人間の耳に入った時、初めてゴーンという音が聞こえるわけです。鐘自体は無言の波動を出しているだけです。客体である鐘が発する波動と、主体である人間の認識の波動がぶつかって、双方の波動の波長がある調和を得た時、すなわち同交感応した時、初めて人間はゴーンと鳴ったのだと認識するのです。同じように大空の虹はそれ自体七色を発しているわけではなく、七種の光の波動を出しているだけです。その波動が人間の知性の主体波動とシンクロナイズする時、七つの色の虹として主体の側において認識されるのです。
 このように、アとワ、オとヲ、ウとウ、エとヱ、イとヰがシンクロナイズしてそれぞれに現象を生むためには、それぞれを結びつける懸け橋となるものが必要です。この役目をするのがキシチニヒミイリの八つの父韻なのです。純粋な主体と客体とを結びつける人間知性の根本韻律はこの八つより他はありません。客体から発する波動は科学的に計測される波長を持った波動エネルギーです。それとシンクロナイズして、あらゆる現象を産み、認識する人間の主体側の現律が八つの父韻です。
 先の五母音の説明のところで、言霊ウの世界から次第に次元の重畳を登りつめて最後は言霊イに至る時この世界が生命創造意志であることをお話しました。ここで自分の心の中を考えて見ますと、この生命創造意志の世界が他の四つの次元ウオアエの世界の現象を産む原動力であることが理解されてきます。欲望の世界である言霊ウも、経験知の世界の言霊オも、言霊アの人間感情も、言霊エの選択や道徳の世界も、生命の創造意志が働かない限り、何の現象も萌すことはないでしょう。欲望が起こるのも生きる意志があってです。経験を成り立たせる好奇心も、哀しいうれしいの感情も、いまここでいかなる道に進むかの選択も。すべて創造意志が縁の下の力持ちとして働いて初めて出てくるものです。
 言霊イは他の四つの次元の基礎であり、原動力です。このすべての現象を起こす原動力である創造意思言霊イの実際の働きである八つの父韻が、それぞれどんな韻律で働くかは後程説明されるでしょう。それにまた〝現象が生まれた〟ということは実際にどういうことなのでしょう。「赤い花が咲いた」というのは現象です。この時そのことを認識する人間が存在しなかったら、それは現象であったかどうか分かりません。また見る主体としての人間がいてもそのことに「赤い」「花」「咲いた」というそれぞれの事物に名前がつけられないならば、ただ「アーアー」というばかりで現象にはなり得ません。創造とは名を付けることです。