島田正路の言霊:事物に名を付けること

 五つの母音、五つの半母音、八つの父韻(以上先天)、ならびに三十二の子音(後天要素)が確定しました。ということは人間の精神生命宇宙の構造が解明され、さらにその宇宙のそれ以上分解することのできない最小要素それぞれに一音一音名が付けられたということです。この最小要素とその名前が一体となって宇宙のすべての事象が文明として創造されるわけです。その要素とは名であり、名とは存在それ自体です。霊である言、言である霊であります。この五十音を言霊というわけです。そしてこの五十個を言霊というわけです。精神宇宙は究極的には五十個の言霊によって成立していてそれ以上のものは存在せず、それ以下であることもないわけです。そしてこの五十個の存在要素の意味を駆使して宇宙全体の事物に名を付けました。古代大和言葉の創造です。
 命名の基本である五十音は、宇宙の構成要素としてその一音一音の意義と機能が確定されたものでありますから、その五十音それぞれを組み合わして付けられた名前は完全純粋にその事物の真実の姿を表現しています。名前がすべてでその他に注釈を加えたり、その意義に議論する必要がないものです。この間の消息を昔の人は「この日本は惟神言挙げせぬ国」などと称えました。それは、この大和言葉は惟神(カミナガラ)、すなわち人間思惟の先天ならびに後天の最小要素によって名付けられた言葉であって、その言葉自体が事物の実相を表しているから、その上のくどくどしい概念的説明は必要としないのだという意味です。それを言霊の意義を忘却した為政者が、「お上の命令にはただハイハイと黙従していれば決して誤りなく正義が行われる国なのだ」などと暴言を吐く仕儀にまでなってしまったのでした。
 例えば次のようなことを挙げることができます。聖徳太子の十七条の憲法に「和を以って貴しとなす」とあります。なにげなく読めば、仲良しは大切だ、ぐらいにしか考えられません。しかしこれが言霊の立場から捉えますと決定的完結的な意味が出てきます。和はワです。また輪○です。ある点から二つの反対方向に別れてやがて究極にまた一致することです。また、ワは純粋客体であり結論です。ここに二人の仲のよい友達がいました。ある時二人の間に利害の対立する問題が起こりました。二人はとことん議論をしました。意見はどうしても噛み合いません。もう絶望です。その時友情が甦ったのです。二人の見つめ合った目と目に笑いがこぼれたのです。それからの話し合いはスムーズでした。どうしたらお互いによいかの結論はすぐ出ました。友情の輪は以前にもましてかたく結ばれたのです。始まりからいったん別れて結果として結ばれる輪の完成です。この意味の輪が真の「和」であります。この意味で言霊ワを知った人は常に和でいられるわけです。ある主義者が主張する「我々は平和を闘いとろう」などという言葉がいかに空虚で平和の心からかけ離れたものであるか、お分かり頂けると思います。和を知っている人は、心は出発から和で始まるのです。常に和なのです。それが言霊ワの一音の意義であります。
 以上のように一音が決定的な意味を持ち、それぞれの音が物事の真実の姿に合うように組み合わされて名が付けられていきます。事物の名付けの限りない発展とその伝承が文明に他なりません。
 以上言霊五十音を順に、母、半母、父、親、子にわけてそれぞれが人間精神宇宙の中で占める構造位置とその生命上の意味について説明してきました。まことにおおざっぱではありましたが、日頃私達が無意識に使っているアイウエオ五十音も、ただ何の深い意味もなく覚えやすいように並べてあるのではなく、それぞれの一音一音が他とは替えることのできない決定的な意味を持ち、また五十音の集合によってそれぞれ次元の相違する心の構造を表現するものであることを了解して頂けたものと思います。