島田正路の言霊:言霊と仏教典①

天津磐境

 言霊の原理を呪示表徴する言葉・内容を仏教典の中に求めますと、あまりに多数あってまるで仏教典全体が言霊原理の解説書のごとき観があります。いまはただそのうちの特に一目瞭然たる類似表徴をあげることに留めます。
 お寺に行きますとすぐ眼に映るのは五重塔です。言霊を知る人なら直ぐに了解するアオウエイ五母音を表徴したものです。この五層の建物が本来仏である人間の心の住家であることを呪示しています。日本語では家(五重)です。五重塔の次に多宝塔をよく見かけます。壁面のところが丸型の建物です。ここに多宝仏という仏様を安置します。多宝仏とは法華経の中に釈迦牟尼仏が法華経について説法をしてそれが合理的だと思うと「善哉善哉」といって釈迦仏の説法を承認する仏様だと説かれています。ところで説示された論説が真理であるか否かを判断する究極の根拠とは何でしょう。それは物であれ心であれその先見的構造に照合して判断するのが最も的確です。物ならばその原子核内構造を調べれば正確に分かります。同様に「善哉」と承認する多宝仏とは人間精神の先天構造のことを指していることは間違いありません。先に説明しました通りその言霊図は図のように示されます。仏典法華経の多宝仏とはこの図最下段に出てくる言霊イすなわち古事記のいわゆる伊耶那岐神のことを呪示しています。またこの言霊図は意識が頭脳内に発生してくる先天部分の自然の形であります。人為に非ざる自然を精神図形は○で表示します。多宝塔が円形をしている以所なのであります(図形○または□の説明は後章古代の墓の形の前方後円の所で詳しく説明されます)
 言霊による人間精神の先天構造は図に示すごとく五つの段階に顕現して来ます。これを五葉坂と称します。五つの言葉の段階の意味です。人間の天与の判断力の基本であり、神道でいう天津磐境の実体です。
 法華経二十五品に観世音菩薩の三十三相のことが説かれます。世の音を見る菩薩といわれる世の音とは実相の単位である三十二子音のことに間違いありません。三十二の子音実相に、それ全体を一つにした相である一相を加えて三十三相といったのです。観音経は三十三相の実体を説かず、菩薩の三十三種類の衆生救済の働きをもって比喩呪示したのでした。同じことは大無量寿経の法蔵菩薩の四十八願についてもいえます。「たとい、われ仏となるをえんとき、国に地獄、餓鬼、畜生あらば、われ正覚を取らじ」(第一願)に始まる法蔵菩薩の四十八願とは、法蔵比丘が大願をおこして仏となった時の仏の功徳について説いたものでありますけれど、その真実の意味はアイウエオ五十音、いろは四十八音を比喩・呪示したものです。なぜなら仏位を成就した時、すなわち人間のすべてのを知り尽くした時、その人間のすべてとはアオウエイ言霊五十音にほかならないからです。
 同じ内容というだけでなく言霊原理の表徴である神道と仏教それにキリスト教をも加えて、教義の中に全く同じ内容が同じ言葉で表現される場合があります。その一つに日本神道で麻邇という言葉があります。言霊またはその原理法則の意味です。仏教では摩尼といいます。
 世の実相音である三十三相を備えた観世音菩薩が手に持つ円満玲瓏な摩尼宝珠とはまじりけない純粋な事物の実相の最小単位を形どった珠玉です。キリスト教の聖書にはMannaといい「神の口より出づる言葉なり」と書かれています。言霊の内容を了解した上で、仏教典並びに聖書のこの摩尼・Mannaの意味を検討してゆきますと、どれもが人間精神を構成する最小単位の実体を表示している言葉の言葉であることの気付くことができるのです。