言霊百神│布斗麻邇の所在② 更にこの下座を形而下の社会的位置の事としてのみ考えず、形而上の事と受け取る時、人間の魂が拠るべき最も低(卑)い根底の位置と云うことである。仏教で「地獄」と云われるのは此の最も低い地位境涯のことである。無自覚に此の境に住す…続きを読む
言霊百神│布斗麻邇の所在① 以上は布斗麻邇に関する一応の概念的な説明であるが、然らばこの布斗麻邇は宇宙の何処に存在し、何処から発現し、何処で活動しているものであるか、これに就いて哲学的宗教的な実践行道の上からその存在箇所を明らかにしたならば、今まで…続きを読む
言霊百神│創造の失敗⑫ 布斗麻邇(ふとまに)にト(卜相)(うら)へての(詔)りたまひつらく フトは二十であり、マニは宇宙の道理(ロゴス)、真実すなわち「マ」を第二(邇、近、似)次的に言葉を以て把握表現したものと云うことである。二十はその道理すな…続きを読む
言霊百神│創造の失敗⑪ 淡島(あわじま)(嶋)を生みたまひき アとワの島(締めくくり)と云うことである。すなわち吾と我(汝)の対立思想である。弁証法的な正(テーゼ)と反(アンチテーゼ)の対立である。現在の哲学で此の対立は合(ジンテーゼ)として総…続きを読む
言霊百神│創造の失敗⑩ 『涅槃経』に訳されて仏教の奥義とされている「いろは歌」は母すなわち「妣・いろは」である。四十八の麻邇言霊を連ねて出来ているこの歌は三世諸仏の母である摩耶夫人であり、キリスト教で云えば聖処女聖母マリアである。本講はこれから…続きを読む
言霊百神│創造の失敗⑨ けれどもこの様な心境も人間には有り得ることであり、また世界歴史の過程に於て、像法末法時代の宗教の樹(た)て方として実際に用いられて来た所であるから、隠処(くみど)におこして一応思想検討の材料として取り上げられたわけである…続きを読む
言霊百神│創造の失敗⑧ 子(、)水蛭子(ひるこ)を生みたまひき ヒルコは霊流子の義。蛭のように骨(霊音)がないこと。霊が流れて実相が現われないことである。或いはまた蛭に血を吸い取られて道(ち)がなくなってしまうことでもある。それは母音を先に言挙…続きを読む
言霊百神│創造の失敗⑦ 子(、)水蛭子(ひるこ)を生みたまひき ヒルコは霊流子の義。蛭のように骨(霊音)がないこと。霊が流れて実相が現われないことである。或いはまた蛭に血を吸い取られて道(ち)がなくなってしまうことでもある。それは母音を先に言挙…続きを読む
言霊百神│創造の失敗⑥ 女人を言先立ちでふさ(良)はず 子音を生もうとして母音を先に発音し父韻を後にすると、a・kではカと云う子音にはならない。k・a(きあ)で初めてカとなる。この事を哲学や宗教上の問題として云うならば母音である隠神即ち実在(実…続きを読む
言霊百神│創造の失敗⑤ 汝は右より廻り逢へ ミギリは見切りの義で、女陰の形、母音のことである。伊邪那美命は母音として創造に参与せよと云う意味。 我は左より廻り逢はむ ヒタリは肥垂りの義で、男根の形、父韻のことである。伊邪那岐命は父韻として創造に…続きを読む