言霊子音の自覚について④

 言霊エ次元にある仏教の菩薩位に二種類あることをお話しましょう。一つは因位の菩薩といい、もう一つは果位の菩薩と呼ばれます。
 因位の菩薩とは法華経に出てくる浄行。上行等の菩薩がそれで、先に説明しましたように自らは本性である宇宙意識の自覚をもち、さらに業苦に沈んでいる他の大勢の人を救わんと努力し、その努力の結果、究極において人間精神の完成体である仏をめざす人であります。その救済の行の心の運び方についてはすでに父韻の配列でお話しをしてきました。
 次の課位の菩薩とは観世音・普賢・勢至等の菩薩が有名で、因位の菩薩とは違ってすでに仏の位に住まわれたその仏が衆生済度のため下生してきた菩薩のことをいいます。この菩薩の救済の心の運び方であるイ・チキミヒリニイシ・ヰの配列の実際は因位の菩薩のそれとは全く違ってきます。宇宙即我の自覚によって母音イが確立していることは因位の菩薩と違いはありません。相違は次の第一の父韻チのところで起こります。因位の菩薩においてチは単に宇宙自体が直接現象として現われる韻であり、全身全霊というほどの意味でありました。ところが果位の菩薩とは既に仏の位を得た人です。この菩薩は宇宙全体を既に五十音言霊として把握しています。それゆえ父韻チは単に宇宙全体とか全身全霊とかいうだけでなく五十音言霊図特に菩薩の次元である言霊エの次元の規範である天津太祝詞音図として現われます。精神宇宙に起こるいかなる現象もこの精神の究極規範である五十音の鏡の前に偽りのない実相となって写し出されます。それゆえに、次に続く主体客体の実相であるキミは五十音の鏡に照らされてその時所位が決定的に見定められます。主客の実相が明らかにされれば、この二つを統合して新しい創造はどんな形をとるかはおのずと言霊図に基いて決定されます(ヒ)。言霊のうえで決定された言葉は一般の世間の言葉の世界に拡大され(リ)、行動の名分が定まり(ニ)、行動が起こり(イ)、結論として終結に向かい(シ)、結果が事実として確認されます。半母音ヰが成立します。
 人間の精神進化の最終段階は言霊イ次元です。五十音言霊の世界です。その五十音言霊図を心の鏡として言霊エ次元の選択創造の心の運び方を会得しますと、人間社会・人間文明を運営してゆく最も確実な手段・方法をいつも明示することが可能となります。
 そして重要なことは、この仏教で比喩的にいうところの果位の菩薩の衆生救済の心の運び方の図式が、またとりも直さず、私達が言霊子音を自覚確認するための方法・手段でもあるのです。もちろん私達は仏陀ではなく、五十音図が心の中に確立成就しているわけではありません。けれども先に検討しましたごとく、父韻チキミヒリニイシのそれぞれの生命意志の活動のリズムについて知っています。また父韻がチキミヒリニイシと並ぶ心の運び方とは、いま・ここの一点における社会的創造に言霊ウである欲望と、言霊オである概念的探究と、言霊アである感情面とを、どのように選(エ)らんで運営していけば理想的社会を実現し得るかの運用法を示しているのだということを知っています。ですからいま社会的に創造活動を起こそうとする時、心に自分が学び覚え知った限りの五十音図を行動の鏡として掲げることです。
 このことを古事記では「衝立船戸神」と神様の名前で呪示しています。五十音図を神道では御船代といいます。五十音図を心の戸として斎立て(衝立)よとの意味です。
 そのうえで主体と客体の実相を明らかにし、キミ双方を総合する言葉を言霊のうえで検討し(ヒ)、その言霊での言葉を拡大させて(リ)、行動の眼目(ニ)ができ上がり、行動として動き、結論が確定(シ)する。このような、一般にいう道徳・政治または個人的な選択行為の実行の中に、言霊子音は一つ一つ内観自覚されていくのです。すなわち言霊ウ次元にある欲望を主体とする人との対応行為の中にツクムフルヌユスの八子音が、次の言霊オ次元に住む概念的探究をこととする人に対する行為の中にトコモホロノヨソの八子音が、また言霊ア次元にある感情を主体とする人に対する創造行為のうちにタカマハラヤサの八子音が、それぞれ、言霊エ段に立って救済行為をする主体の側の心の中に焼き付けられるがごとく自覚されてくるのです。と同時にこれら三種の対応行為の自己の内面の実相としてテケメヘレネエセのエ段の子音をも確認することができます。
 この合計三十二子音の自覚の成就が人間精神の理想体系の実現であり、仏教でいう仏陀、キリスト教の救世主、儒教の「心の欲する所に従って矩を踰えず」の出現を意味します

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