言霊百神│禊祓(三)⑧ 中瀬のウオエの三つは悟性、現識、理性の所謂知性の三態であり、それは音としては弥都波能売(みつはのめ)と云われるところのものである。この三つは奔放でもなく固定したものでもなく、これに依って法界を運営し、人間が住むに適した文…続きを読む
言霊百神│禊祓(三)⑦ 『古事記』はその首(はじ)めから此処に至るまで縷々一貫して麻邇の効能を述べているが、此処で注意しなければならぬことは、ここに至ってイ言霊の意義が「下瀬は瀬弱し」として初めて改めて省みられることとなった事である。それが大自…続きを読む
言霊百神│禊祓(三)⑥ 下瀬イは生命意志であり麻邇である。これはすべての精神現象の原因であり原律であり、すなわち万物が存在し生成する道の根底ではあるが、然しそれ自体、永久に変化することなき人間精神の法則としての恒常の大自然界の属性であり、そこに…続きを読む
言霊百神│禊祓(三)⑤ 上瀬アは惰性であり感情であって、これは余りに奔放であるから、その赴くに任せて生命の自由を楽しむにはよいが、これを以て文明全体を律しようとすることは無理である。絵画や音楽、詩歌、演劇では国家や社会を経営しては行けない。すな…続きを読む
言霊百神│禊祓(三)④ 生命の河の源は原理的には五つである。禊祓の時はこれを三つの瀬とし、「創世記」は四つの河としている。五つの河、五つの泉(井)に就いて今まで繰返し述べた。 『古事記』に従ってこの本来の五つの瀬を阿波岐原の上瀬、中瀬、下瀬の三…続きを読む
言霊百神│禊祓(三)③ アの河は芸術宗教の流れである。オの河は科学の流れ、ウの河は現実の政治経済産業の流れ、エの河は道徳の流れ、そしてイの河は根源の生命自体、すなわち麻邇一切種智の流れである。人類文明の世界にはこの五つの大河が普く空間を渡り、時…続きを読む
言霊百神│禊祓(三)② その形而上の場所を竺紫(つくし)の日向の橘の小門の阿波岐原の上瀬、下瀬、中瀬と云う。瀬とは生命(いのち)の河の流れである。この所は『古事記』とキリスト教『聖書』とを併せて説いて行くと理解し易い。生命の河の源には生命の樹が…続きを読む
言霊百神│禊祓(三)① この(是)に上瀬は瀬速し、 下瀬は瀬弱しと詔りごちたまひて、 初めて中瀬に降り潜(かづ)きて、滌(そそ)ぎたまう時に 禊祓の前段である身削ぎ払霊の消極的な操作が終わって、その後段の霊注(滌)ぎ張霊の積極的な操作が開始され…続きを読む
言霊百神│百神構成の概括⑨ 但し此の麻邇を操作する上で心の準備として是非とも統覚の神剣の把握を必要とする。神剣の把持なくして麻邇を弄べば自己分裂を生じ、若しくは思惟が観念にかすれて真実が現れない。禅で云う獅子吼の前に於ける野干(狐)脳裂の状態に陥る…続きを読む
言霊百神│百神構成の概括⑧ 然もこの百神の道を要約すればそのもとは五母音、八父韻に帰結し、その操作は常にただ五十個にして五十箇に限る言霊の運用を以てし、これ以外の如何なる概念(哲学)も表象(宗教的信仰)も必要としない。この百神の道こそ究極まで完全に…続きを読む