言霊百神│絶妻の誓⑪

神道を客観的なものと思い錯って直接科学を以て説明しようとすることは神道の本質を体験せぬ者、自己の精神の意義を弁まえぬ者の空論であって、本来神道は最も主観的なものであるが故に最も非科学的なものであり、科学とは全然別個のものである。やがて黄泉津大神である伊邪那美命の営みである科学が完成された暁に於て、これに対して純粋に正確にアンチテーゼをなすものが神道である。その科学のアンチテーゼとしてそれと対照された時、幾何学的な対称(シンメトリー)となる意味に於いて、初めて神道は科学と一致する。この科学は神道の主体、自主、自己目的、自律、自由の諸徳である生命の自覚の光明に照射されて、初めて生命に対する科学自身の自己目的性を附与される。科学は盲目であって、精神の自覚の眼の導きがなければ自己の行方を定めることが出来ない。この意味での科学文明の開眼を提婆達多の成仏、弥勒仏の下生と云うのである。