私の気功体験㊻

言葉による支配、一個人による言葉による身体の支配の事を考えているのだがそれを大きくしたのが言葉による社会の支配、支配という言葉が悪いのであろうか。支配と言うと逆に自由を制限されるようで反発してしまう自分がいることに気付く。
では自分の中で、各器官が自己と言う人格より勝手に動き出したらどうだろうか。がん細胞のように人格と言う自分と対立すれば人は生きていくことが出来なくなる。言葉が精神と肉体の統一した人格として働いている限り言葉に従わなければ人は生きているとは言わない。言葉に矛盾があれば人は行動ができなくなる。言葉を論理的感性的に統一した使い方をする人を人格者と言うのだが、言葉に対し大切に扱ってきたか私には言い切る自信がない。当然自信がなければ実践しても成功する可能性は低くなる。これが私たちの姿であるように思う。
神とは言葉
言葉が精神、肉体を統一して自由自在に扱うことができれば人の実践活動も思いのまま創造できる。言葉を自由自在に扱えない私にはできない事であるが、どこかにそんな存在がいることを期待したい。

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