天地初めて發けし時

 日本の古典である古事記をお読みになったことのある方は多いことと思います。その古事記の神代の巻の最初の文章を覚えていらっしゃいましょうか。
「天地初めて發けし時、高天原に成りし神の名は…」とあります。
 またキリスト教の旧約聖書の創世記第一章の最初に「元始に神天地を創造たまえり…」と書かれています。
 古事記で「天地初めて發けし時」といい、旧約聖書に「元始に」と書かれている「はじめ」とは何のことを指しているのでしょうか。大方に人は私達が生きているこの大きな宇宙が形成されて来る初めの時、と考えることでしょう。現在ばかりでなく昔の人も、宗教学者でさえもそのように考え疑う事さえしなかったようです。幾十億年、いや幾百億年、幾千億年か昔、宇宙が混沌として何もはっきりした形をしていなかった時、人の知恵では計ることの出来ない偉大な、眼に見えない力を持った神が銀河系を、星雲を、太陽を、地球を想像して行った、と解釈して来たようです。
「その神の愛子であるイエス・キリストのお生まれになった我等の地球が宇宙の中心であり、従ってその地球の周りを太陽が動いているのであって、地球が太陽の周りを動いているなどと主張する地動説は神の冒涜である」と言って天文学者ガリレオ・ガリレイはローマ教会によって宗教裁判にかけられました。これも「元始に神天地を創造たまえり」を協会自体がこの宇宙や地球を神様が、私達が手工芸で何かを作るようにお作りになった、と解釈していた為でしょう。
 宗教界の主張に反して近代の科学は太陽の周りを地球が動くという地動説を完全に証明してしまいました。宗教の私達人類の生活に及ぼす影響力は日々年々低下していくのが実情のようです。
 このような論争や混乱の全て「天地の初発」とか「元始」のとんでもない間違った解釈から来ているのです。私達人類は何時頃からこの「元始」について見当違いを始めたのでしょうか。多分この二千年間、次第に進歩して来た物質科学の影響のためでしょう。
 古事記の「天地初めて發けし時」も聖書の「元始に」も、それを聞くと私達現代人が直に思い浮かべるところの幾百億年か知れない昔の、天文学的な地球物理学的な宇宙や太陽や地球が形成された初めの時のことではありません。神話や宗教書の言う「天地」とか宇宙というものは今迄説明してきたように心の宇宙のことを指して言っているのです。
 人が何も思ったり、考えたりしないでいる時、心は宇宙そのものです。エネルギーが満ち満ちていて、しかも何もない広い宇宙です。その宇宙に何かが起ろうとする瞬間、それが「天地の初発の時」であり、「元始に」の時なのです。ですから「初発」というのは幾百億年も昔のことではなくて、常に「今」のことを言っていることになります。何かが心に起ろうとする瞬間が人間にとって「今」なのであり「此処」でなければならないでしょう。
 神話や宗教書の「元始に」とは必ずその今。此処の心が現象を起こそうする初めのことを言っているのです。

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