易経

 人間の精神の先天構造を前章のように図で表わしますと、中国から始まったと言われる易をご存知の方はすぐにお気付きになることでしょう。「易の大局図と全く同じだな」と。そうです、同じであります。唯違うことは言霊図が物事の最小単位の実体である言霊で構成されているのに対して、大極図は太極・陽儀・陰儀…という概念用語いう数理を以って示されている事です。
 易というと現代人はよく大道でみられるように、筮竹(ぜいちく)の数を数えて人の吉凶禍福を占うものと考えるでしょう。けれど、この易の教えが今から数千年以前、中国の伏羲(ふぎ)という聖王が始めた東洋哲学の奥義であり、有名な孔子が十翼といわれる十篇の注釈書を書いたことを知る人は少ないようです。
 図に示しました太極図について注釈書には「この故に易に太極あり。之、両儀を生ず。両儀、四象を生じ、四象は八卦を生ず。八卦は吉凶を定め、吉凶は大業を生ず」と説明しています。注釈に使われている言葉自体が東洋哲学の難しい概念ですから、意味が分りにくいですが、易経を読んでみると、この大極図が言霊十七個による心の先天構造と同じように、何もない宇宙から現象が現れてくる過程を説明していることが理解出来ます。
 では、心の先天構造を表わした易の太極図と現在行われている筮竹の占いとは、どんな関係なのか考えてみましょう。
 中国の古代の「左伝」という書物に「聖人卜筮(ぼくぜい)を煩(わずら)はさず」とあります。また「荀子」という書物の大略篇には「善く易を爲むる者は占はず」と書いてあります。聖人とは、人生の道理について深く悟った人ということです。つまり、心の先天構造を分った人は占うことは行わないという事です。聖人の考える事は易の太極図の道理そのものであるという事です。