古事記と五十音言霊

 古事記は七一二年(和銅五年)太安万侶によって選上されました。御存知のことと思いますが、全部漢字で書かれています。と言っても漢文ではありません。日本の言葉一語一語に同音又は同意の漢字を当てはめて文章としたのです。私達は難しい漢字や外国語に振り仮名をします。それと同様に古事記は日本語に振り漢字をしたようなものです。例えば「そらみつ 大和の国は」の言葉を「虚見津 山跡乃国者」と文章にしている、といった具合です。そして一七九八年本居宣長によって「古事記伝」として正式の日本文に翻訳されたのでした。
 古事記には上中下の三巻があります。その中で此処で取り上げようとするのは上巻の「神代の巻」であります。さてこの古事記の神代の巻が古代の日本人が考えた単なる神話や文学作品なのではなく、神話の形式を借りた言霊の学問の手引書、教科書だ、と言ったら読者はどう思われるのでしょうか。多分「まさか」の言葉が返って来るのではないでしょうか。でもそれは間違いない事実なのです。説明を進めて行くことにしましょう。
 神代の巻は、「天地初めて發けし時…」と始まります。この「天地初めて發けし」というのが、今迄の世の中の人が考えていたような、天体物理学や天文学で扱う物質宇宙や銀河系や太陽系が形成された時のことではなく、心の宇宙から人間の思いが始まろうとしている瞬間のことを言っているのです。実際に生きている人間の思いや考えが始まろうとする瞬間とは、常に今・此処でなければならないでしょう。
 神代の巻では「天地初めて發けし時」に続く文章でいろいろな神様の名前が次から次に出てきます。「天地初めて發けし時」が物質の天や地の形成された時ではなく、心の宇宙に人間の思いが始まろうとする時ということになりますと、その次に出て来る色々な神様の名前も天や地や太陽や月、木の風、川海などの自然を神格化した神様なのではなく、今、此処で人間の思いが始まろうとしている心の宇宙の内容について何かを表現しているのだということになります。
 この本の「コトタマとは」の章で私達日本人の祖先は、人間の心を形成しているコトタマの数は先天十七個、後天三十三個、合計五十個であり、その五十個のコトタマを操作する運用法も五十ある。とお話しました。総合計百個の原理ということになります。
 このことを頭に入れておいて、古事記の最初に出て来る神様の天の御中主の神から天照大神・月読命・須佐男命の三神まで数えて見ますと、驚くことに丁度百個の神名が登場して来るのです。最後の須佐男命が生れた後で、「吾は子を生み生みて、生みの後に、三柱の貴子を得たり」と言って伊耶那岐の命が大層喜ばれた、と古事記にありますから、最初の天の御中主の神から須佐男命まで数えたわけです。丁度百個の神名、それはコトタマの百個の原理と数が一致するではありませんか。
 それだけではありません。神代の巻の最初の章「天地初めて」の中に出て来る神様の名前が全部で十七個、これは人間の頭脳の先天構造のコトタマの数十七とも一致するのです。「天地初めて」とは、精神的に言えば先天のことということができるでしょう。少々長くなりますが、古事記の「天地初めて」の章を書いて見ましょう。
 天地初めて發けし時、高天原に成りし神の名は、天之御中主神、次に高御産巣日神、次に神産巣日神、この三柱の神は、みな獨神と成りまして、身を隱したまひき。
 次に国稚く浮ける脂の如くして、海月なす漂えるとき、葦牙の如く萌え騰る物によりて、成りし神の名は宇摩志阿斯訶備比古遲神、次に天之常立神。この二柱の神もまた獨神と成りまして、身を隱したる。
 次に成りし神の名は、国之常立神、次に豊雲野神。この二柱の神もまた獨神と成りまして、身を隱したまひき。次に成りし神の名は、宇比地迩神、次に妹須比智迩神。次に角杙神、次に妹活杙神。次に意富斗能地神、次に妹大斗乃辨神。次に淤母陀流神、次に妹阿夜訶志古泥神。次に伊邪那岐神、次に妹伊邪那美神
 以上が古事記神代の巻の第一章「天地初めて」の全文章です。確かに神様の名前が十七出て来ます。日本の古代の大和言葉に同音または同意の漢字を当てた文章ですから、それぞれの神様の名前がどんな意味を持っているのか、想像も付かないでしょう。けれど「天地初めて」が「何物もない心の宇宙から人間の思いが現れようとしている時」のことを言っているのだ、ということを心に留めておいて、人間の目覚めの時の意識の動きの構造を考え合わせて見ますと、古事記の神名とコトタマとの関係が次第に鮮明に理解されて来るのです。
 心の宇宙の中で何かの思いが起ろうとして、まだ実際には現れて来ない内、言い換えますと心の先天構造の内容を言霊で示した図を再び取り上げます。
 この図を心に留めておいて古事記の最初に出て来る神名、天の御中主の神を考えて見ます。心の先天の中に今・此処で何かが起ろうとする瞬間、その動き、うごめき、生れようとする気配の宇宙に言霊ウと名付けたことは以前に話しました。さて天の御中主の神の天は心の先天部分を示しているということができましょう。その先天の中に何かの意識が起ろうとしています。実際に起ろうとする意識は今・此処以外にはありません。そしてその意識が如何に小さいものであっても、宇宙は無限に広いものですから、一点を何処にとっても、それは宇宙の中心に位置しています。しかもその中心の自覚者(主)です。そうしますと古事記が「天地初めて」の章で示した天の御中主の神という神名は正しく言霊ウの宇宙をそのまま指し示しているではありませんか。

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