教育と言霊

 教育の荒廃・貧困が叫ばれてからもう永い年月が経ちます。教育制度の改革の議論は毎年のように繰り返されていますし、大学の入試のやり方はめまぐるしいばかりに変ります。迷惑するのは受験生ばかりということになりかねません。社会の有識者を集めた審議会などがその都度開かれているようですが、決定的な妙案は出て来ないのが実情のようです。
「人間とは何か」に百%答て余すところない日本固有の法則・原理が世の中に現れて来たのです。人間の精神の構造とその働きを解明し尽くしたアイウエオ五十音言霊の原理です。
 この原理によれば人間は生れた時から天与五つの性能を持っています。五官感覚による欲望・経験知・感情・実践知・創造意志の五段階層の性能です。これをウオアエイの五つの母音で表わします。それぞれの階層の性能から心の現象が現れれ出て来るのに法則があり、キシチヒミリイニの八つの父韻の展開でこれを示します。そのようにして現れ出て来る心の現象の単位を子音三十二で表わし、すべて五十個のコトダマの活動として心を捉えました。人間の心はこの五十個のコトタマで全部で、これ以外の人間の心はありません。
 この原理は数千年前の大昔に発見完成され、これによって日本の大和言葉が作られ、人間社会の精神文明を築いたのでですが、今から約三千年前に故あって世の中から隠され、明治以降世の中に再現されて来たものです。
「人間とは何か」の精神面からの解明が出来ているのですから、現代一応の完成が予想される物質科学と並んで、人間の教育は迷うことなく実施される時代が来たといってよいのではないでしょうか。
 先ず第一に教育によって立つ視点を変えることであります。
 今迄の学校教育は、言霊学で言いますとウ(五官感覚・産業・経済)、オ(経験知・人文科学・物質科学)とア(感情・芸術・宗教)の三つの次元性能を重視して、残りのエ(実践知・道徳・政治)とイ(創造意志・言葉・言霊)の二つの次元を殆ど無視して来ました。前者である三つの内のア(感情)についても、宗教教育は特定の宗教についての教育を禁止することから宗教の心そのものをも教育の場から外してしまいました。
 神や仏に対する人間の態度に「おがむ」と「いつく」の二様があることを話しました。幼児から青年になる間に、自分というものの真の本体が神であり、仏であり、宇宙そのものであることをはっきりと考えさせる教育に戻ることです。自我意識の成長と強調することも或る時までは結構なことですが、その自我とは生まれてから身に付けた経験・知識・習癖等なのであって、真の自分ではないのだということをも合せて知らす教育が必要です。自我意識というものは、ただそれだけでは砂上の楼閣、幻の意識に過ぎないものなのです。若い人は自分自身の本体が神・仏・宇宙であることを意識することによって、人の心とは光そのものなのだということに気付くでしょう。それによって若い人の心は幾多の束縛から解放されて、明るい希望に満ちたものになることでしょう。
 次は今行われている文字についての教育の見直しです。
 子供は家庭・幼稚園・小学校…で文字を教えられます。現代は先ず平仮名を教え、次に漢字、片仮名の順だそうです。この順序を片仮名、漢字、平仮名の順に改めることです。
「文字の覚える順などどうだって大した影響はないのでは」とお思いになるかも知れません。しかしこれは大きな問題なのです。
 男女の結合によって生命が母親の胎内に宿ってから呱々の声を上げるまでの十ヵ月と十日の間に、人は遠い大昔の生命の誕生から現代の人間に進化するまでの長年月の進化段階を母親の胎内で経験するとは生理学でよく言われることです。同様に人は幼児から大学を卒業するまでに、人類の文化の始まりから今日までの知的進化をなぞらって知識を習得して行く必要があります。
 その知識習得の基礎に一つの文字があります。西暦三、四世紀に漢字が渡来するまで、日本には文字がなかったというが歴史学の通説だそうです。けれどこれは間違いです。立派な文字がありました。神代神名文字といいます。竹内古文書その他に多くの神代文字が発見されています。その中には言霊の原理を図式化し、その各一部分をとって文字にしたもの、その他象形文字、竜形文字など、言霊の原理を知った上で見ると、その真実性がよく分かるものが存在します。
 文字教育は如何にあるべきか。先ず最初に片仮名文字を教え、次に漢字、平仮名の順にするべきです。現代新聞・雑誌その他で片仮名の使用はごく一部に限られていることを考慮するとしても、平仮名・漢字より先に片仮名を短時日であっても教えることが肝要です。
 この文字習得の順序を無視しますと、人間の知識習得能力の中枢に混乱が生じ、若者の知的成長に悪影響を与えます。こう申し上げた観点から社会を御覧になって下さい。この影響から起きる若者の思考秩序の混乱は、社会相に色々な現象となって現れていることにお気付きになるでありましょう。
 第三番目が歴史教育についてです。
 甕は甲羅に似せて穴を掘る、といわれます。歴史を書く場合、その歴史は著者の主観に左右され勝ちです。前述しましたように、人間には五つの母音ウオアエイの言霊で示される五つの性能が与えられています。ですから歴史を書く場合、この五つの性能の総合の立場からなされなければなりません。けれど現代人の意識はウ(欲望)、オ(学問)ア(感情)の三つの次元にしか向いていません。残りの二つ、エ(実践知)とイ(創造意志・言葉)は無視されてしまっています。そこに現代の歴史書の偏見が起こって来ることになります。
 先の戦争に負けるまでの日本の歴史は余りに神懸り的で合理性に欠け近代歴史学の批判に耐え得るものではありませんでした。戦後これに変わって登場しました〝実証的〟と称する現代の歴史書は、戦前の歴史観を否定し放棄するのに急の余り、小児病的推理小説化した観があります。数年前まで、古事記の編纂者の太安万侶は架空の人物とされていました。それが安万侶の名前が書かれた木簡が発掘され、実在が実証されました。にも拘わらず太安万侶をめぐる当時の歴史的事情が改めて見直されたとはいまだ聞いていません。偏見だと言われる一つの例であります。
 その結果は、戦後の日本人の意識から、何千年の間続いて来た自分たちの先祖の足跡とその伝統を完全に近いまでに抹殺してしまうこととなりました。若者の非行化・無気力化の最大の原因がここにあるようです。
 日本を考える人々の周知を集めて、日本語の中にあるアイウエオ五十音言霊の原理に則って、日本並びに世界の真正の歴史を編纂する会を作ることを提唱致したいと思うのです。

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