五十音言霊の歴史②

 日本の古典であります古事記や日本書記の神代の巻は、単なる神話ではなく、神話の形式を借りた言霊原理の手引書であり、教科書なのだ、ということを説明して来ました。古事記は七一二年太安万侶により、また日本書記は七二〇年舎人親王らによって撰上されたものです。
「若しそうなら、太安万侶や舎人親王達は何故に言霊をそのものズバリと書かず、神話の形式をとったり、煩雑な神様の名前などを使ったりして、全く廻りくどい方法を用いたりしたのか」という疑問が当然起って来ることです。
 それが民間の一個人が書いた小説や民話のようなものなら兎に角、古事記や日本書記はその当時の行政府の事業として計画され、完成されたのであることが記されています。とするなら、その記述が言霊の原理そのものを明らかに書くことなく、神話の形式をとって、一見謎々のような文章に敢えてしなければならない確乎とした理由があったに違いないのです。然も暗示している対象の言霊の原理は人間の精神の究極最高の真理であり日本語の原典なのです。この事の事情を歴史的に明らかに説明しようとしますと、少なくともこの本一冊分位の紙数を必要となりますから、ここでは結論を手短にお話するに留めることにしましょう。箇条書きにすると次ぎの様にいう事が出来ます。
1.大昔、日本人の先祖の長年の研究の末に人間の心の構造が解明され、アイウエオ五十音言霊の原理として完成されました。
2.その原理を保持した聖の集団が地球の高原地帯からこの日本列島に渡って来ました。そして先ず原理に基づいて日本語を作ったのです。またその日本語が表現する実相そのままの社会・国家体制を築き理想の精神文明を創造しました。
3.精神文明の成果は世界中に伝播し、地球上には数千年にわたって精神文明繁栄の時代が続いたのです。世界の各民族に今尚現存する神話は例外なく「大昔、精神的に豊かな平和な理想時代が存在した」事を伝えています。これらの事実存在した精神の時代という表現で後世に伝えたものなのです。
4.歴史のある時点に、その時までの精神文明に次いで物質文明の創造が急務であることを感じた聖の集団は、精神文明の基礎である言霊の原理を一定の期間、方便として世界の人々の意識から隠してしまう方策を決定したのでした。なぜなら物質文明は生存競争の場に於いてのみその創造は促進されるからです。物質科学研究は弱肉強食の競争社会において最も急速な進歩を遂げることは現代人がよく認識する処でしょう。平和・互助の精神時代は方便として終りを告げることとなりました。三千年前、日本からの精神文明の輸出は停止され、二千年前、日本に於いても言霊原理の社会への運用は完全に停止されてしまいました。
5.この文明創造の方針の大変更に当たって、日本の政府では種々の準備に万全を期しました。その幾つかの例を次に列挙することにしましょう。
a.言霊の原理の自覚を表す三種の神器(鏡・勾玉・剣)は代々天皇の御座所近くにおかれていました。二千年前、崇神天皇の御代、三種の神器を伊勢五十鈴の宮に天照大神という神様としてお祭りして、天皇から切離してしまいました。この事実は日本書記、崇神天皇の章に詳しく載っています。天皇が実践知の鏡である言霊の原理の自覚を失ってしまったことを意味します。この歴史的事実を天皇の神器との同床共殿制度の廃止と呼んでいます。
b.言霊の原理は唯世の中から忘却されたのではなく、物質文明促進のため一定期間、方便のために世の表面から隠されたものです。だから物質文明が進歩し、完成に近づいた時には、再び日本人の脳裏に甦ってこなければなりません。そのための施策が色々と講ぜられたのです。
c.三種の神器のうち特に八咫の鏡を天照大神としてお祭りした伊勢の神宮の本殿の構造を現在まで「唯一神明造り」と呼んでいます。その建築構造は時が来て言霊の原理から見ると、アイウエオ五十音にそっくりそのまま写しかえることが出切るように作られています。五十音の言霊を並べて人間の精神の理想構造を表わしたものを器物として形どったのが八咫の鏡なのです。唯一神明造りとは唯一の神の内容が明らかとなるよう造られたもの、という意味です。例えば神宮の最高の秘儀として尊ばれる本殿下の「心の御柱」を初めとして本殿の構造、氷木、鰹木に至るまで、言霊の原理に則り形造られています。誌数が許せば後程お話したいと思います。
d.宮中の重要な儀式の形式の中に言霊の原理は巧妙に取り入れられました。例えば昨年行われました天皇一代に一度の新嘗祭や、天皇の子が皇太子として立つ儀式の一つである壷切りの儀など、今では宮内庁の人々でもその意義が分からなくなってしまっていますが、言霊の原理から見ると、どうしてその様な形式で行うのか、が一目瞭然となります。日本人の宝である原理を儀式の形で後世に伝えようとしたわけであります。
e.そしてこの章の主題である古事記・日本書記の神代の巻の神話も、以上お話して来ました趣旨に基づいて編纂されたものです。崇神天皇が言霊の原理を信仰の対象として神様に祭ってしまって七百年、言霊の原理は名実共に日本人の意識から完全に忘れられようとしている頃、方策の最後の手段として計画され編纂されたのが古事記・日本書記だった、というわけです。
言霊の原理は生来の日本人の意識に甦る時に備えて確かに後世に伝えなければならず、そうは言っても当面の方針に従って明らさまに書くわけには行かず、当時の聖達はさぞ苦心した事でしょう。その結果、神話という形で言の原理の詳細を遺すこととしたのです。その苦心は見事に古事記・日本書記の神代の巻の神話としてまとめられました。今、言霊の原理がはっきりと解明され、理解された眼で記・紀の両書を読みますと、一字一字、一行一行驚くべき新鮮さで心の中に神話の物語が元の言霊の原理となって甦って来ます。最初の「天の御中柱の神」から五十番目の「火の迦具土の神」までがそれぞれ言霊の五十音を表徴した神名であり、五十一番目の金山毘古神から百晩目の須佐男命までが言霊の五十の運用法なのであることが明らかに理解されて来るのです。
しかも最初の五十の神々が五十音のどれを表すか、の要点は宮中の賢所に二千年間保管されてあった、と聞きます。賢所とは文字通り世界中で最も賢い所である、という事が出来ましょう。
 古事記と日本書記の神代の巻の神話が日本固有の学問である言霊の原理の教科書なのだ、という著者の主張に対して、当然起って来る疑問に対する解答をお話して来ました。
 これをお読みになった読者の中には「そんな話は日本のどんな歴史書にも載っていない」と眉に唾される方も多いことでしょう。唯話を聞いただけではそう思われるのも当然のことであります。しかし若し読者が古事記の示す天の御中柱の神言霊ウ…と、先の心の先天構造の章でお話した事を読者御自身の心の中に分け入って確かめられるならば、そして言霊の原理が確かに生きている人間の心の構造を明らかにしている事実に気付かれるならば、この本に書かれたことが真実かも知れない、と思われて来るに違いありません。それ等の証明はこの章の次からお話しいたします事柄の数々によってお確かめ頂きたいと思います。

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