自覚確認する方法_第三言霊アの段階

 「自分のものにする」という言葉があります。物であれば金を出して買って自己の所有物とすることです。知識でいえば、それを暗記しているだけではなく、概念・理論・法則をよく理解して、論理的思考を駆使することができるようになることです。
 ところでこの第三段階の言霊アにおける言霊の勉強は、言霊を自己のものとすることではなく、言霊が自己の生命そのものであることを知る初めの段階、といったらよいでしょう。このことを知ることは〝自覚〟という言葉に最もふさわしい事実ということができましょう。「天上天下唯我独尊」と仏教で申します。宇宙において、我一人尊しとはなんと高慢な態度と思われるかも知れません。けれども、自分の心の中を深く見つめていって、ついに、自分の心の根元が宇宙そのものであり、その宇宙から現われた自分の構造内容を知ることによって、とりもなおさず、人間を、社会を、世界を、知ることができるのだと知ったならば、天上天下唯我独尊とは真理なのであり、事実であり、決して高慢な自惚ではないこととなりましょう。自覚とはこういう種類の確認を言うのです。
 第一の言霊ウと第二の言霊オの段階の学習態度は進歩をめざすことです。欲望を遂げるには一にも二にも前進することが基調となります。学問する言霊オの心構えも広く本を読み、多勢の人の話を聞き、質問するなど進取の態度が必要です。一つでも多くの経験を積みそれを少しでも広い理論体系に概念的に心の中で組み立てていくことであります。この二つの世界においては他人より強く大きい欲望を持ち、その経験を少しでも他より広い確かな理論体系にまとめた人が勝ちとなるはずです。〝進歩〟が学習の基本です。
 ところが第三段階の言霊アの勉強のなるとその心構えが逆転します。その態度の基調は〝退歩〟なのです。「天地の初発の時高天原に成りませる・・・」(古事記)。「元始に神天地を創造たまえり」(旧約)「太初に言あり」(ヨハネ伝)この〝はじめ〟すなわちいろいろな心の現象が起こっては消えていくその本源の宇宙の自覚の次元が言霊アです。とすると言霊ウの次元の経験と、言霊オである概念的把握という二つの個人的見解では、どうしても、その見解が出てくる元の世界は捉えることはできません。経験と概念理解を無限に積み重ねれば起こってくる現象はそれだけ正確に把えることはできるでしょう。けれどもその現象が起こる以前の、または、その現象が消えてしまった後の、何もない宇宙そのものを把えることは決してできない道理です。ここでは進歩の追及態度は通用しないのです。それでは言霊アの把握の方法には何があるというのでしょうか。そこに「退歩の学」が登場します。
 人間がこの世に初めて呱々の声をあげて生まれ出た時、その心は真白で汚れないものでありましょう。まさに神の赤子です。その後に見に付ける経験や意見・希望・理想等々の個別的見解を持っていないためだということができます。これら種々の見解の基礎となる経験・知識が触れ合うところに競争・議論・反発等の騒動も起こってくるのです。
 いま、人間がこのような精神成長の過程で、経験・知識によって形成された人格の有限さ・狭さ・不自由さに気付き、何者・何事にも制約されない精神の自由の境地があることに気付く時、その探究の態度ではそれまでの進歩をめざすことから百八十度の転回を余儀なくされるのです。それまで自我を成長させようとせっせと集めて来た経験や知識が、実はすべて他人や社会からの借り物であり、本来この世に生まれ落ちた自分自身とは別のものであることを心の中に確かめていく作業を始めなければなりません。いままで一生懸命集めて自分の着物として重ねて着込んできた経験・知識・信条等を、今度は一枚一枚脱ぎ去っていくのです。それ以外に精神的赤ん坊に変える途はありません。