自覚確認する方法_第四言霊エの段階

 庇を借りて母屋を乗っ取った後天的な知識・信念・習性等を心の中で否定、整理して、母屋である本来の自己自身を再び取りもどした人は、魂の自由を得て溌剌と生きることができます。自己本姓が宇宙そのものであることを知り、自分のそれまでに身に着けた知識・信条・習性等をその場、その場に応じて自由に駆使することができるからです。具象の極を究めたピカソが抽象の絵の中で遊んでいるのと同様です。この次元の境地にいる人を仏教では縁覚あるいは阿羅漢といい、キリスト教ではアノインテッドAnointedと呼びます。芸術の表現し得る境地としてはこの次元が最高次元です。ですからこの境地を究めてしまったピカソはその後は時には遊んでもいられたのです。けれども人間全体の魂の進化という立場からは、この次元に留まって遊んでいるわけにはいきません。進化の第四段階目が次に控えています。それが言霊エの次元です。自己の本姓が宇宙そのものであることを知った人は自分の知識・信条・習性等をその時その場に応じて使い分け不自由はありません。その意味では「わが事足れリ」です。しかし眼を他の社会に転じてみましょう。そこにはそれぞれの罪業に翻弄されて苦悩の底に沈んでいる人々が多勢いるのです。自分が生かされていることの有難さをつくづく知った人が、他人の苦しんでいるのを見て、いま自分が味わうことのできる自由をその人達にも手にしてもらいたいと思うのは人情でありましょう。否、自分の使命だと言えます。そう思い立った時からこの人の進化の第四段階の勉強が始まります。この世の現象界の出来事に悩んでいる人は、かつて自分もそうであった如く悩みながらその社会的欲望の執着を捨て切ってはいません。相手も正当な手段で打ち負かすのがなぜ悪い?信念を貫ぬこうとしてなぜ不都合なのだと主張しながら、泥沼の中でもがいている人に〝どのような手段で〟地獄から抜け出させることができるか、の勉強が始まるわけです。進化の第三段階である言霊アを求める勉強が自利のためであったのに比べて第四の勉強は利他の道です。〝どのような手段で〟の勉強の道、仏教でいう方便と真理への道、それは選択を勉強する段階であり、言霊エは〝選〟らぶの言葉の基本の道ということができます。この段階にある人を仏教では菩薩、キリスト教では使途と呼びます。社会一般でいえば真の意味での政治・道徳の道であります。
 世の中にはいろいろな経歴・習性・知識・信条等を持った人がいます。それらの人達にどのようにそれぞれ対応したらよいかの勉強は無限ともいえる努力が必要です。そしてその努力を支えるものは人類の理想社会の建設という使命観でありましょう。
 ところでこの次元における言霊の勉強はどうなるでしょうか。言霊エの意義を端的に表わす言葉は〝選ぶ〟です。何を選ぶのかといえば、言霊ウ・オ・アの中からその時々の場に必要な次元を選ぶことです。いまこの人を導く最適に方法は言霊ウオアの中の何であるかを選ぶことです。この選択の勉強によって言霊ウオアエのそれぞれの次元的相違が次第にはっきり了解されてくるようになります。この次元がはっきり自覚されてきますと、それまではっきり自覚できなかった知識を求める言霊オの次元の心構えと知識を選択するこの次元の心構えとの相違が特に明瞭に自覚されます。言霊オの次元の心の構造が正反合の弁証法構造を持ち図形△で表徴されるのに対して、言霊エの次元の心の構造が という形で表徴されることも明確となります。(△は帰納であり、 は演繹です)と同時に人間生命の一瞬一瞬の活動の実体が言霊なのだという自覚がひしひしと感じられるのもこの次元においてであります。