古代において気功が認識されてくる過程は、次のようであっただろうと考えられる。身体が疲れてだるいときに伸びをして深呼吸し、目を閉じてしばらく安静にしていると、気分が軽く感じられるようになる。また腰背部が重だるくて痛みがあるとき、それを自分で揉んだり軽く叩いたりすると、その感覚が軽減あるいは消失する。また胸腹部が張って苦しい時に口を開けて息を吐きだすとか、手でその場所をさするとよくなる、ということがある。こうした経験の中で気功の芽生えが生じたのであろう。それに実践と模索を加え、繰り返しその効果的なおとを確かめ証明しながら、ひとつの方法として保存され応用されてきたと考えられる。
また気功法の中には、古代の舞踊の動作を起源とするものもある。伝説によれば、4000年以上前の唐堯(とうぎょう)時代、中国の中原地方では洪水が非常に長く続いたという。その後、夏の禹王の治水方法による水害は治まったものの、溢れた水のために湿気がひどく、多くの人が筋肉痛やだるさ、関節の運動障害を訴えるようになった。人々はそれまでの経験をもとに、ある種の舞踊の動作を行うことによって、筋骨を鍛え、血脈を通じさせ、体質を強め克服したことが書かれている。
秦(BC246~206)の呂不韋の『呂氏春秋』に「むかし陶唐(堯王の号)の時代の初めは、陰気が多く滞り沈積していた。水道は塞がり、水は水道をめぐらず洪水をおこした。そのため人々は気は鬱結して滞り、筋骨が攣縮して不自由となった。そこで舞をつくり、これによって気を宣導したのである」とある。
古代人には、神や先祖の祭礼、あるいは狩猟、採集などで多くの収穫が得られたときに、動物の跳躍や飛翔の動作をまねて舞いながら祝う習慣があったことはよく知られている。この舞は、原始的な気功といってよいものである。
戦国時代(BC403~221)に現れた我が国最古の医書である『黄帝内経』にある次の一文は、上述してきたことをふまえて理解することができよう。「中央はその地勢が平らかで湿気が多い…故にその病には痿(手足がなえる)厥(気が上逆して陰陽失調となるもの)、寒熱(悪寒・発熱)のものが多い。このような病気の治療法としては、導引按蹻(どういんあんきょう)が適している」導引はの名は『内経』だけでなく『荘子』の中にもみられる。
古代の呼吸法の事を指して「吐納」と言うが、「吐」とは口から濁気を吐くことであり「納」とは鼻から新鮮な空気を吸い込むという意味で、導引に含まれる呼吸鍛錬の方法を表している。
以上を考えると、肢体を動かし、呼吸を鍛錬し、自己按摩を行うといった、動的あるいは静的な鍛錬法は、すべて導引に含まれてよいと考えられる。そこから郭沫若は『奴隷制時代』という本の中で「昔の人にいう『道行』(導引と同じ)は、現代人のいう気功と同じものである」と指摘し、さらに「戦国時代に、気功に注目していた養生家たちがいたのは確かである」とも述べている。
また「按蹻」の字が登場するのは『黄帝内経・素問』の中で、「按は皮肉を揉み、さすること。蹻は手足をすばやく上げることをいう。導引按蹻は人々が神を養い、気を調えるために行った正道である」といっている。つまり按蹻は自分で自分に按摩をことであると考えてよい。古代の人は自分自身で按摩をすることは当然と考え、他人からやってもらうことを嫌ったようである。また自分自身に按摩することは気功においても大切なポイントである。
他人に按摩をすることは後に発展して推拿と名を変えている。
現代用いられている気功という名称は、中華人民共和国の成立後に通用するになったものである。
中国気功史_気功の起源と名称
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