中国気功史_先秦時代

 春秋戦国時代は、社会的な生産力の増大に伴って社会経済が急激な変化を遂げた時期である。文化面における影響も大きく、様々な思想が出現し、諸子百家による学術論争が繰り広げられた。その中で気功も相当の発展を遂げて、各方面から重視されていたようである。
 医学の面で注目に値するのは、医書の経典ともいうべき『黄帝内経』が著されたことである。また医療技術が大いに発展し、『素問』異法方宣論には、当時行われていた医療措置として、砭石(へんせき)、毒薬、きゅうぜつ、九針、導引按蹻(気功)の五つが上げられている。また『霊枢』病伝篇には、「導引行気、按摩、灸法、熨法(いほう)、刺法、火針法、薬物療法」が並べられており、導引行気、按摩が筆頭におかれている。
『史記』扁鵲倉公列伝には、春秋戦国後期の名医・扁鵲が、仮死状態にある虢太子(かくたいし)の治療にあたったとき、大使の属官である中庶子(官名。戸籍係)と古代の医療方法について話す場面がある。そこで撟引が出てくるが撟引(はしいん)とは導引のことである。
 道家にあっては、代表人物である老子・荘子の著作に古代の気功について述べられてところがある。『老子』には、「その心を虚しくし、その腹を実にす」等々ある。これは老子の哲学的観点を反映した言葉だが、また練功を述べたものであり、しばしば後世の人によって引用される。『荘子』の「深々と呼吸して気の新陳代謝をはかり、身体を熊が木にぶら下がったときのようにしたり、足を鳥が飛び立つときのようにすばやく伸ばしたりして、長命を保とうとする」の部分は、明らかに古代の気功について述べたものである。
 儒家孔子は、『論語』述而篇で「疏食(粗食)を食らい、水を飲み、肱を曲げてこれを枕とす。楽しみはまたそのなかにあり」と述べているが、これは練功の経験をいったものかもしれない。
 『孟子』に「その気たるや、直を以て養いて害(そこな)うことなし」とあり、自然な呼吸を身につけるがよいとしている。「人の欲心は危うい。道にかなった人は微(わず)かである。それゆえ精細に集一に、中庸の道を維持すべきである」(『尚書・大禹謨』)という儒家の十六字心伝訣と「至善の所在を知ることができれば、志は定まる。志が定まれば、心は静となる。心が静であれば、安定し、思慮することができるようになる。思慮できれば、至善を把握しうるのである」(『大学』)という言葉は、ともに気功について述べた一面をもつものと考えることもできる。
 呼吸の鍛錬について残っているもので、『行気玉佩銘』(こうききょくはいめい)と呼ばれる石刻文がある。これは戦国初期(BC380年頃)のものと考えられている。小さな十二面体の石柱に彫られた四十五文字であり、呼吸の方法が書かれている。このように、春秋戦国時代には、古代の気功とその応用法が広く行われていたことがわかる。