中国気功史_両漢時代

 古代の気功は、漢代に入ってさらに発展する。1973年末に発掘された長沙の馬王堆3号墓の副葬品の中に、一枚の帛画(はくが)と一篇の古佚書(こいつしょ)があった。帛画には各種の運動の姿勢が書かれており、現在『導引図』と名付けられている。古佚書は『却穀食気(きゃくこくしょくき)』といわれ、戦国時代から伝えられたものと考えられている。この二つは、古代の気功の研究に豊富な資料を提供することとなった。
 『導引図』には四十余りの画像が描かれている。一部破損しており、画像や文字に識別不能なところもあるが、復元の結果、描かれた人体の動作の形態、それに付された標題ならびにいくつかの疾病名から推察して、前漢初期のものとみなされている。馬王堆3号墓が当時の長沙の丞相であった利蒼(りそう)の子供の墓で、紀元前168年に葬られたことからも、この推定は正しいと思われる。
 『導引図』は長さが約1メートル、各画像は9~12センチメートルの大きさで描かれており、男性、女性、老人、子供もみられる。ほとんどは徒手だが、器物を手にしたものも何人かいる。食気を主とした練功法について述べたものであることは明らかである。「食気」は「服気」ともいい、呼吸鍛錬法を指している。
 「却穀する者は石葦を食べる」という言葉がある。「却穀」とは食を摂らない、という意味であり、その代わり石葦を食べるのだという。石葦は薬物として用いられる植物で、『神農本草経』によれば「労熱邪気、五癃閉不通を主り、小便水道を利す」効能があるという。後世、これは通淋利尿剤として応用されているが、食物の代用になるかどうかについては、問題の残るところなので参考に記しておく。また六禽戯(ろくきんぎ)について書いてあるが動作については残されていない。漢代には、気功の実践者やこれに関する著作がまだたくさんある。
 後漢末に現れた二人の大医学家、張仲景と華佗も、気功について言及している。たとえば張仲景は、その著書『金匱要略(きんきようりゃく)』の中で次のように語っている。「人は養い謹んでおれば邪風に経絡を犯されることはない。もし経絡に侵入したとしても、臓腑に流伝する前であれば、治すことができる。四肢が重だるく感じたら導引吐納・針灸膏摩を行う。このようにして九竅(きゅうきょう)を閉塞させないようにしなければならない」。
 張仲景と同時代の外科医・華佗は、『呂氏春秋』季春記にある「流水は腐らず、戸枢は朽ちない。それは動くからである。人の形気もまた同様である」という理論と『淮南子』にみえる六種の動物の動きを結びつけることによって、「五禽戯」を編み出した。『後漢書』方術列伝には、華佗が弟子の呉晋に五禽戯を教える話があり、呉晋がそれを実行したところ、大変効果があったという。ただ五禽戯の方法については残されていない。現在あるものは後に再編されたものである。

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