中国気功史_魏晋南北朝時代

 魏王・曹操は多くの方術士を集めた。その中には甘始、王真、皇甫隆といった練功の実践者たちも含まれていた。子の曹丕(そうひ)(文帝)の『典論』に、「甘陵の甘始はよく行気を行い、老いても若々しい。…甘始が来てから、人々はみな鴟視狼顧(ししろうこ)、呼吸吐納を行うようになった」とある。王真については『後漢書』には、「王真は百歳近いというのに、顔に光沢があって五〇歳ほどにしかみえない。よく胎息、胎食の方術を行うからである」という記述がある。胎息とは微弱な呼吸法のことであり、「胎食」とは、唾液を飲み込む方法のことで、古代の気功法である。また唐・孫思邈(そんしばく)の『備急千金方』によれば、皇甫隆と魏武帝・曹操との間で、気功について次のようなやりとりがあったという。「魏武帝の曹操が皇甫隆に向かっていった。『あなたは百歳を過ぎておられるというのに、体力は衰えず耳も目も正常で、顔色もよく、まったく素晴らしい。服食、導引のことを話して聞かせていただきたいものだ。教えてもよいということであれば、文書にしてそっと示せばよい』。皇甫隆はそこで上疏文にして答えた。『臣(わたくし)は道人・蒯京(けいきょう)が、すでに百七十八歳であるにもかかわらず、非常に元気だと聞いております。蒯京は、“毎朝玉泉を飲み、歯を噛み鳴らせば、顔色はよくなり、三虫は去って歯は固くなる”といっています。玉泉とは唾液のことです。朝起床する前に口中にいっぱい満たし、これを飲み込みます。そして十四回歯を鳴らす。これを名付けて錬精と言っております』」。
 『養生訓』『答難養生訓』を著した竹林の七賢の一人嵆康(けいこう)は老荘の学を好み、養生や服食について語っている。彼は呼吸・導引を長生きするための方法ととらえていた。晋の人張湛は『養生要集』を著し、その中で養生のための大要を十項目あげている。嗇神、愛気、養形、導引、言語、飲食、房室、反俗、医薬、禁忌の十項目だが、はじめの四項目が古代の気功である。
 晋の葛洪(かつこう)は、医学者であると同時に神仙導引を提唱した人でもあった。その著『抱朴子』には、各種の長生きの方法が記されている。気功導引についての記述にはみるべきものが多い。
 晋代『黄庭経(こうていきょう)』道教における重要な練功参考書とされていた。中国史上最も有名な書家、王羲之(303~379)はこの『黄庭経』の外篇を楷書で書いたことでも知られている。王羲之が行っていた練功は「鵝掌戯(がしょうぎ)」と言われるもので、腕力が強くなるという。書法と練功を結び付け、筆の先に意を集中させると、筆先に集まった意と気の力で強い筆力が生まれたのだと考えられている。
 南北朝期の陶弘景は、道教徒であり医師でもあった。本草の研究の傍ら『養性延命録』という本を篇述しており、これには古代の気功の方法と理論がかなり収録されている。この書物の半分は「服務療病」「導引按経」の二編で費やされており、その内容は現在応用されている動功・静功と似通っている。六字訣の方法を編み出した人物でもある。
 南北朝時代、インドの高僧達磨が中国に至り、五二七年に河南の嵩山少林寺で仏教の伝授を始め、禅宗を創始した。達磨は新しい禅定の方法を考え出したが、それが壁に向かって終日黙然と座っているというもので、「壁観(へきかん)」と呼ばれる。壁観とは、意念を鍛錬する静功の一種である。