中国気功史_宋金元時代

 宋、金、元時代、道教に内丹術がおこり、その一部が古代気功と融合した。この時期の気功の発展の最も特徴的なのがこの点である。されに中国医学の流派が盛んに興り、隆盛を迎えたのもこの時代である。
『聖済総録』は、北宋(九六〇~一一二九)後期に著された、理論と経験を兼ね備えた医学の巨著である。北宋の朝廷が全国の著名な医学家を招集して広く民間の方薬を集め、これに官所蔵の医書および医方を合わせて編集された。この中に「導引」と「服気」に関する部分に、古代の気功の資料がかなりたくさん記載されている。
『聖済総録』と同じ時期に編集され、宋のきそう徽宋(きそう)の署名まである『聖済経』の中にも、練気と長生との関係が論述されている。
 南宋の初期、宮中の医院である太医院の教授だった張鋭は、彼の著書『鶏峰普済方(けいほうふざいほう)』の中で二つの導引法を紹介している。一つは脚気導引法で、現代の「双手攀(はん)足」にあたる動功である。もう一つは消化を促進し滞壅(よう)を取り除くための導引である。
 金元四大家の著書の中にも、気功による治療に関する記述をみることができる。
 五代(宋の建国前五〇年間をいう。この時代は戦乱が相次いでおこった)の戦火で散佚してしまった道教の経典が、北宋の初め、真宗のときに政府の主宰で整理されている。編纂にあたったのは張君房という人物で、彼は道士ではなかったが、当時作郎という位にあったことから選ばれ、『大宋天宮宝殿』七蔵を編んだ。されに七蔵から要点を精選して、一般に小道蔵とよばれる『雲笈七蔵(うんきゅうしちしん)』を成した。これには宋代以前の主な道書が集められているほか、古代気功の資料も数多く含まれている。
 宋代の文学者たち、欧陽脩、蘇東坡、陸游なども、静功、導引を体験しており、またその経験を語っている。
 宋代の理学者、程頥(ていい)や朱熹らも、静坐を非常に大事なものと考えていた。
 北宋と南宋の時代が交差する頃、ある無名氏によってつくられた「八段錦」は、比較的早い時期から人々の間で人気を得た動功の鍛錬法である。
 宋元金時代には、この他いくつかの養生書が著されている。著名なものとして、宋代・陳直の『養老奉親書』がある。この本は後に元の鄒鉉(すうげん)によって増補され『新養老奉親書』の名がつけられた。されに元、王中陽の『泰定養生主論』がある。鄒鉉は叔祖(祖父の弟)である鄒朴庵の『炎詹集(えんたんしゆう)』かた「太上玉軸六字訣』を引用しているが、これは六字訣をもっとも具体的に説明したものであり、臨床上たいへん参考価値が高い。 

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