中国気功史_明清時代

 明清時代における気功の特徴としては、広く医家の理解を得て、応用されるようになったことである。そのため医学書の中に、気功に関する資料が多く現れることになる。
 金元四大家の一人であった朱丹渓の弟子、王履(おうり)は、明代初期に『医経溯洄(そかい)集』の中で『内経』にある「亢すれば即ち害し、承れば乃ち制す」の理論を解説して、次のように述べている。「気というものは、もともと亢進したら自制力が働くものである。亢進して自制がきかないときは、湯液、針灸、導引の手段を用いて、援助するのである」。気の盛んになりすぎて害を生じるようなときは抑制させなければならないが、その方法の一つとして導引が考えられているのである。
 明代の中葉、徐春圃(じょしゅんほ)の編になる『古今医統大全』百巻が現れる。これは各医家の長所を集め整理し、科ごとに分けて編集した医学全書である。この書物のうしろ数巻には、気功を含めた養生の経験が豊富に記されている。
 偉大な医学者、李時珍(りじちん)も気功についてかなりの認識をもっていた。『奇経八脈考』の中の、任脈、督脈、陰蹻脈の重要性を説明する部分で、道教の内丹術の資料を引き合いに出している「任脈と督脈は人身における子午である。すなわち丹田家がいうところの陽火陰符昇降の道であり、坎水と離火が交媾する場所である。…この二脈を通じれば、すべての脈は通じる。」また李時珍は練功と経絡を結び付け、次のような論断を下したことはよく知られている。「内臓と経絡は、それを意識的に観ようとするものだけが察することができる」。
 著名な針灸家の楊継洲は、その著書『針灸大成』の中で任脈、督脈の流れについて述べている。
 王肯堂(おうこうどう)の『六科証治準縄』は自らの臨床経験をまとめたもので、後世の人から崇敬を受けた。傅仁字の著した眼科専門書『審視瑤函』は、その豊富な内容から『眼科大全』ともよばれる。ここでも眼科に対して気功が有効であることが強調されている。
 清代の陳夢雷らの編輯になる、中国最大の医学類書『古今図書集成』にも、導引についての記載が見られる。
 葉天士(ようてんし)、呉鞠通(ごきくつう)ともに気功の実践者である。清代の医学者、張璐(ちょうろ)、明代には著名な養生練功書が著されている。
 冷謙(れんけん)『修齢要旨』、高濂(こうれん)の『遵生八牋(じゅんせいはつせん)』故文煥(こぶんかん)の『類修要訣』など。
 袁了凡(えんりょうはん)の『静座要訣』では仏教の禅定の理論を用いて静座を系統的に説明している。
 明末の陳継儒は『養生膚語』の中で、練功は虚、実、寒、熱を弁別して運用すべきであると述べている。
 明の王陽明は、学問を講義する一方で静座を奨励していたらしい。また彼の弟子の王龍渓は『調息法』を著している。そこには心と息の関係が、うまく述べられている。
 清の初期、顔元は朱熹の「半日静座、半日読書」の考えに反論し、「身を養うのに、動を習うより良いものはない」「身は動かせばそれだけ強くなる」といった。健康な人は練功を主体にしたほうが良いようである。

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