中国気功史_近代の百年間

 この期間は清朝の腐敗した封建主義統治が行われた時期である。帝国主義による侵略を受け、後には国民党反動派による残虐な統治がなされた。反動階級は洋奴買弁思想を宣揚し、中国の民族文化遺産に対しては、全面的に否定的な政策をとった。中国の伝統医学に対しても、民族虚無主義の姿勢がとられ、その結果、伝統医学にとっては受難の時期となり、気功もまた停滞状態を余儀なくされた。
 清代後期、潘霨(はんい)の編になる『衛生要術』は、予防を重視する考え方を基盤になっている。後の王祖源は、これに十二段錦総訣、図解、分行外功訣、易筋経、却病延年法などを加え、『内攻図説』の名で再編している。この書では動功が重視されている。席錫潘(せきしゃくはん)は古代の内功、外功を図説に表した。導引、五禽戯、八段錦、易筋経など多くのものを図説で紹介しており、これらをまとめて『内外功図説輯要』と題し、二八門に分類し、一二四の図を収録している。
 辛亥革命以降、知識階級の中から静座に注目する人々が現れた。楊昌済は湖南第一師範学校に勤めながら、学生に対し常に静座の要訣とその効用を説いていた。上海の蔣維喬は『因是子静坐法』を著し、静坐と学習と普及に当時大きな影響を及ぼした。しかし、この文章には消極的で迷信的部分が多く、静坐のみで動功について何も語っていないので毛沢東は一九一七年四月一日の『新青年』誌上に「二十八画生」というペンネームで『体育の研究』という文で次にように指摘している。「静座の法は、朱子、陸九淵らによって尊ばれた。近ごろは因是子という者が、静坐法について論じ、その法の神髄を宣揚するかたわら、運動する人に対し自ら体を損ねる者だと見下げたようなことを言っている。これにも一理あるかもしれないが、私はこの考えに従わない。なぜといって私が観察するところによれば、天地のすべては運動性をもっているからである」。
 この他、静坐について書かれた著名な本に、丁福保の『静座法精義』がある。陳乾明の『静座修養法』は要点を簡略にまとめている。資料の豊富さでは楊中一の『指導真詮』が抜きん出ている。
当時は日本の静座書も、中国で翻訳、出版されている。日本では明治の後期に静座のブームがおこった。藤田霊斎岡田虎二郎がそれぞれ一派を築き、多くの人々が彼らについて静座を学んだ。両派には異なる特徴があった。藤田は自然複式呼吸を主張し、岡田は逆複式呼吸を主張した。この二人の著書は中国にも一定の影響を与えた。
 こうした動きもあったにもかかわらず、解放前は反動統治階級が人民の健康にたいして配慮しなかったため、気功は発展しないばかりか、普及活動すら行えない状態であった。一方統治階級の人々は気功を私物化し、自分自身の「不老長寿」を保証してくれるものという妄想を抱いていた。また一部の人々により迷信を宣伝する道具に利用されたため、神秘的色彩を帯びることになった。中国の伝統医学が差別を受け悲惨な状況に陥ったなかで、気功もまた存続不可能かというところまで追い込まれていったのである。