気功鍛錬と臓腑①

伝統医学において蔵象学説は各科に共通した基礎であり、気功にとってもまた例外ではない。ここでは五蔵をとり上げ、それぞれについて説明を加えると同時に、気功鍛錬との関連を述べることにする。
(1)心
①心
「心は、生の本、神の変(別説に、神の処)なり」(『素問』六節臓象論)。「心は君主なるが故(ゆえ)に生の本という。心は神を蔵し、神明は変化するものであるから、神の変なりという」。これは『類経』にみえる張景岳の注釈である。「神」とはあらゆる精神活動の総称であり、それは心と密接な関係にある。心は生命の根源である。神はここに宿っており、そのため神は心の影響をもっとも強く受ける。つまり「心」の機能に失調がおこると、精神錯乱の症状が現れるのである。「びくびくしたり深く思慮する者は神を傷(やぶ)る。神が傷られたときには、恐れおののき呆然と茫然自失の状態があらわれる」と『霊枢』本神篇に述べられている。
 気功の鍛錬では、意念を集中させることによって精神活動を「入静」の状態にもっていき、身体は「放松」すなわちリラックスするので、心神は調和がとれ、保養される。神は外界のいかなるものによっても乱されないようにすることができれば、他の臓腑を協調的に働かせる心の作用も十分に発揮され、臓腑間の調和は保たれることになる。この意味で「心は五臓六腑の大主なり」といわれるのであり、されに「神明を主ることができなければ、その他の臓腑も安定する。こうして養生すれば長生きができる。…もし神明を主ることができなければ、十二官(六臓六腑のこと)は危険にされされる」といわれるのである。 
②心は血脈を主る。
「心は身体の血脈を主る」(『素問』痿論)。
 全身を流れている血脈は心によって統轄されている。つまり血液の成分の源は脾胃によって運化される水穀の精微なのだが、それが血管の中を通って全身をめぐり、栄養を与え続けることができるのは、旺盛な心気が血液を一定方向に推動させるからなのである。『素問』五蔵生成論にある「諸血は皆心に属す」とは、このことをいっている。
 気功の鍛錬を行って心神が安定してくると、血液運行を統轄する心の作用も強まってくる。練功後、脈拍が穏やかにしかも力強くなり、顔面に赤みをさすのはこのためである。まさしく「心は…その華は面にあり、その充は血脈にあり」(『素問』六節臓象論)というとおりである。

2019年12月
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