気功鍛錬と臓腑②

(2)肺
①肺は気を主り、呼吸を司る。
「天気は肺に通ず」(『素問』陰陽応象論)、「真気は天より受け、穀気と併せて身を充たす者なり」(『素問』刺節真邪論)。“天気”とは大気・空気のことである。また「肺は五臓六腑の華蓋なり」(『霊枢』九針論)といわれ、古い気功の本では、肺は華蓋(頭上にさしかける絹の天蓋)の形に描かれている。『黄庭経』にも「肺部の宮は華蓋に似たり」という記述がみられる。明の趙献可はこの点を詳しく「喉下に肺がある。二葉の白瑩(美しくつやのある石)からなり、これを華蓋という。諸臓を覆い、虚なること蜂巣のごとし。底は閉じているので吸えば充満し、呼けば空虚となる。一呼一吸は源にもとづいて行われており、つきることはない。すなわち清濁の交運、人身の橐籥(ふいご)なり」(『医貫』)。同じ記載が張景岳の『類景図翼』の中にも見られる。ここでいう橐籥とは、呼吸の出し入れするさまを例えたものである。
 気功鍛錬の一部として呼吸鍛錬を行うことによって、天地の精気を納め、臓腑内の濁気を吐き出すができるようになる。『素問』上古天真論に「精気を呼吸する」という言葉があるが、これは呼吸鍛錬を指しているのである。
 意識的に呼吸を行うのは、天気を体内に取り入れることによって真気を充実させるためだけではない。「気は血の師」であり、「気行(めぐ)れば血も行る」「肺は百脈を朝す」といわれるように、肺気が充実すれば気血のめぐりがよくなり、それによって五臓六腑、四肢百骸といった全身に栄養と活力が供給されるからである。この関連がわかると、『黄庭経』にみられる「元気を呼吸して仙を求む」という言葉に意味が理解できる。 
②肺は降を主り、腎は納を主る。
「肺は気の主たり、腎は気の本たり」(『景岳全書』)。この肺と腎の関連からいえば、意識的に呼吸をして、気を丹田に沈めるようにすることにより、腎の摂納能力を強化することができると考えられる。深い複式呼吸を体得したのち、「胎息」の状態が現れるのも、この理由からである。「胎息」における呼吸は軽くて乱れがなく、「鴻毛を鼻に近づけても動かない」と記されているように、空気の出入りは外からは察知できないほど微かなものである。この状況下で肺の後天の気と、腎の先天の精気が、それぞれの降と納の作用を通じて結びついて人体の真気が生成されるのであり、人体内部のエネルギーが集中し、強化されるのである。昔の人は胎息の訓練を重視したのは、こうした理由による。 
③肺は皮毛を主る。
「肺の合は皮なり。その栄は毛なり」(『素問』五臓生成論)。
「皮毛」とは体の表部にある組織、すなわち皮膚、汗腺、毛髪などを指す。汗が分泌されて皮膚が適度に潤っていれば、外邪の侵入を防ぐことができる。これは衛気が皮毛に十分に分布し、その作用が発揮されていてこそ可能なのである。『霊枢』本臓篇には、次のように述べられている。「衛気は、分肉を温め、皮膚を充たし、腠理(皮膚と筋肉の交接しているところ)を肥し、開闔(汗腺の開閉)を司る者なり」衛気のこの働きは、肺の宣発とよばれる作用を前提としている。宣発作用とは「上焦開発し五穀の味を宣べ、膚を熏じ身を充し、毛を沢すること、霧露のそそぐが如し」(『霊枢』決気篇)。
 練功を行っていると、毛孔の開閉と肺の呼吸との間に、直接の関係があることが感じ取れるようになる。これが「体呼吸」といわれるものである。普通に人でも意識的に自然な呼吸を心がけながら練習すれば、しばしば皮膚は温かくなったように感じられ、少し発汗することがある。これも内経の言葉を裏付けるものである。したがって陽虚畏冷の患者にはこの方法は非常に適しており、また感冒にかかってすぐに鼻がつまるような人にも効果的である。鍛錬で肺気が増強されれば、それに相応して腠理も逞しくなるからである。
 気の呼吸鍛錬でもっとも大切なことは自然に行うことであり、決して無理をしてはならない。意識してぎこちなくなった呼吸は、逆に真気を消耗させ、気機を変調させて反対の効果を生むので注意が必要である。