気功の方法…呼吸の鍛錬②

(2)古代では呼吸鍛錬をどのように認識していたか
 古代の気功鍛錬家は、「精気を呼吸する」という考えに導かれ、「真気は天から受け、穀気と合わさり、全身を充たす」と認識していた。このため、息を吸うという鍛錬を強調し、息を吸った後に息を止めることにより、天の気を収める鍛錬を行った。これが気功の中の閉気法である。『養性延命録』の中には、かなり具体的な閉気法が記されている。そこには、「あおむけに寝て、しかっり目をつぶり手を拳に握り、心中で息を止めて、二百まで数えてから、口から吐く。日ごとに数を増していくと、自分の身体に“神”が宿り、五臓が安じる。二百五十息まで止めることができれば、華蓋(かがい)が明らかになる。華蓋が明らかになれば、視覚、聴覚が敏感になり、病気にかからず、邪気も人に逆らうことがない」と書かれている。『備急千金要方』の中にも「精神を和やかにし気を導くのには、密室を準備し、戸を閉め、ベッドをすえて蓙を温める。枕の高さは二寸半とし、あおむけに寝て目をつぶり、胸膈に息を止める。鼻の穴の所に鴻毛(鳥類の羽毛)を近づけても微動だにしない。三百息数えると、耳に聞こえるものがなく、目に見えるものがなく、心におもうことがなく、寒さ暑さにも侵されず、蜂と蠍の毒にも抗い、三六〇歳まで長生きをする。このような者は真人に接近している」と書かれている。当然、これは、閉気法の効能を誇張している。方法からも、一息吸ってそのままずっと息を止めることではない。
 蘇東披は閉気法をよく理解していた。彼は、「気を胸膈に止めるといってはいるが、恐らくは鼻の中の気を止めるのではなく、胸膈で意をしっかり守ることにより、気を出入りさせても、動いているようで動かず、煙雲がたちこめるように模糊として見えず、これはあたかも香炉の蓋からあがる煙や、ポットの口の湯気のように自然に出入りしているのである。自然に気が出入りして呼吸をしていなければ、鴻毛は動かない。もし心に雑念をおこさなければ、三百息、息を止めることも可能である」といっている。閉気を専門的に述べたものには、『墨子閉気行気法』『張果先生服気法』などがある。
 古代の気功鍛錬家の中には『老子』の「呼吸を凝らして柔らかにすれば嬰児のようになれる」という考えに導かれて、胎息の鍛錬を強調している者がいる。たとえば『抱朴子』の中にも、「行気はいろいろな病気を治すこともできるし寿命を延ばすこともできるが、その大要は胎息につきる。胎息を会得した者は鼻や口を使わないで呼吸ができる。胎中にいるときと同じように呼吸できれば道は成ったのである」と言及している。明朝の袁了凡は『摂生三要』の中で胎息の問題にふれている。「人は胎児のときは鼻口で呼吸しているのではない。臍帯だけで、母の任脈とつながっている。任脈は肺に通じており、肺は鼻に通じている。それゆえに、母が呼吸すると胎児も呼吸する。その気はすべて臍帯で行き来している。人が生まれるときは、ただ臍帯だけでつながっている。初めて調息を学ぶ者は、気は臍帯から出入りしていると想像しなければならない。胞衣の中にいるかのようであるので胎息という」と書いている。
 実際には、胎息は閉気が発展したものであり、閉気して気が下に沈むのを体得するのである。そのため、『摂生三要』の中でも、「閉気を練習して気を呑み込むことを胎息という」「しかし、閉気を知っているだけで、胎息を知らないと無益である」とも指摘している。胎息と命名されている著書には、『胎息法』『胎息経』『胎息銘』『胎息口訣』『胎息精微』『胎息雑訣』などがある。
 胎息がされに深化した呼吸が体呼吸(皮膚呼吸)であり、豪毛(体表のうぶ毛)呼吸ともいう。
 呼吸法の中で、呼気を主として鍛錬するものが六字訣(訣は方法の意)である。『養性延命録』に初めてみられ、その中では次のようにいっている。「気を納めるものは一つ、気を吐き出すものは六つある。気を納める一つは吸うことであり、気を吐く六つとは、吹(チュイー)、呼(フー)、唏(シー)、呵(コー)、嘘(シュイー)、呬(スー)であり、これらはすべて気を吐き出すものである」。その後、六字訣について述べているものは少なくない。 状況の違いに的確に対応するためには、相応する呼吸法を用いなければならない。そのため古代の鍛錬家で、単純な吸気法や呼気法の練習の狭い枠から抜け出し、多くの呼吸法を編み出した。例えば、『小止観』には、上息、下息、満息、焦息、増長息、滅壊息、暖息、冷息、衝息、持息、和息、補息の十二息がある。
 私たちは歴代の気功鍛錬家の著作の中に、多くの呼吸鍛錬の名称をみることができる。たとえば、服気、食気、進気、淘気、調気、咽気、行気、錬気、委気、悶気、布気、補気、潟気、外気、内気、槙気、御気、用気、修気、養気、護気、守気、凝気、引気、候気、導気、合気、接気、採気、迎気、運気、息気および調息、、凝息、胎息、運息、踵息と六字訣の中の嘘気、呵気、呼気、呬気、吹気、唏気、止観法の中の一二息、合わせて五十種あまりにのぼる。
 以上の各種の呼吸法のうち、一般の呼吸法と異なるのは、運気と布気である。『鶏峰普済方』の中に「意は気の使であり、意のあるところに気が到る。体に悪い所があれば微かに気を閉じて、意によって気を病巣に行かせて攻撃すると、病気が癒える」という記載がある。これは運気法であり、いろいろな書籍にも似たような記載が多い。天台白雲の『服気精義論』服気療病第八、『大威儀先生玄素真人要用気訣』『幻真先生服内元気訣法』閉気訣の中にこの方法が記載されている。布気とは、ある程度以上のレベルに達した気功練功者が自分の余分な気を他人に与え病気を治療することである。布気は『幻真先生服内元気訣法』布気訣などの関連著作の中で言及されている。
 道教の内丹術の中の大小周天は、呼吸の気を内気を運行させる推進力としている。これもまた一つの運気法である。
 仏教の密教には、特殊な呼吸法があり、“九級風”という。これは、意識的な幻想と呼吸を結びつけた複雑な鍛錬法である。これは実際チベット密教の頂門を開く儀式のための準備運動であり、純粋な宗教的修練法に属し、神秘的な色彩が濃厚である。『気功療法実践』の中の“九次呼吸法”がこの方法である。