遠藤喨及の指圧法…経絡指圧法.8
経絡は「気のからだ」だけではなく、肉体の深部にも、また身体姿勢を動かす時など、体表にも表れる。しかしこれの本体は、あくまでも「気のからだ」にあって、肉体上に感じられる経絡は、「気のからだ」に存在する影のようなものである。
だから。「虚」と言って指の止まったところは、2メートル奥に存在する、経絡の本体にアクセスできるスジなのである。すなわち、たとえ体表では、そこが大腸経でなくても、2メートル奥の「気のからだ」の大腸経にアクセスしているわけである。
じつは術者の無意識は、術者の指をどこで止めたら虚にアクセスできるかを知っている。また術者がどのような角度で圧すかも、圧す前から分かっている。そのようなことを瞬時に計算し、指のいちばんいいところで止めているのが、術者の無意識・鬼なのである。ただし、術者が見つけてよろう、なんていう思いをちょっとでも入れたら、そのかしこい(というか、ありがたい)無意識・気のはたらきを邪魔することになるので注意が必要です。
「部分が全体を含む」
響きによるツボの確認の際の圧し方では、「ツボが全身を含むとイメージする」と述べた。このイメージ技法が、「部分が全体を含む」という、東洋哲学の基本的なものの考え方と一致していることです。
ツボの底
ツボの深さとは物理的なものであると同時に気の深さであり、心の深さのことです。
受け手の心の底にまで思いやるような、深い共感的想像でないと、術者の指圧がツボの底に至ることはない。また、受け手の気も決してツボの底にまで入れてはくれない。つまり、術者の共感の心の深さによって、その指圧が届く深さが決まるのです。
「気」は瞬間ごとに変化している
ツボが全身を含んでいるとイメージで圧す。すると受け手の法は、最初の二秒間は非常に快く感じる。しかし二秒後に不快に感じだす。それは二秒後には、受け手の気は反応して、自然界に自らを解放させようと、圧に対し押し返すようになる。
しかしこれは非常に微妙な感覚だ。だが、術者がこれを感ぜず。圧し続けると、出口まで来た受け手の気は自然界に変えることができず、ふたたび内向していかざるを得ない。これは、受け手にとっては不快であり、「気のからだ」にとってはダメージとなる。
心を表現する指圧
①自分の想像によって、まず中指でツボを取る。米粒を感じる。
②次に、拇指で圧して響きを確認する。
③深い共感を持って、指圧をツボの底にまで届かせる
④二秒後には、ツボの底が、術者の拇指を圧し返すように上がってくる
⑤“相手が感じていることを想像しつづけ”ながら、相手の圧反応に自分の指圧の圧度を合わせ、ともに体表に上がってくるようにする。
⑥また別のツボを、共感的想像によって見つけ①から⑤までをふたたび行う。