遠藤喨及の『気の経絡指圧』…「タオ指圧」.2
ツボに定位置はない
気の経絡指圧では「ツボが全身含んでいる」とイメージしながら圧すように指導している。これは、「部分(ツボ)が全体(全身)を含む」という、東洋哲学の基本的生命観の一つである。
また、「科学派」と呼ばれる鍼灸の流儀では、経絡の存在すら、否定ないし無視して施術しているそうだ。さらに一般の指圧では、東洋医学の治療というよりも、たんなるもみ療治としかいえないような、慰安・娯楽の術に堕しているものも多い。
ツボは生まれ
日本の東洋医学の学校教育だって、これまで経穴を決まった位置にあるものとして教えてきた。たとえ、ツボの本体がわかる指導教官だとしても、そうせざるをえなかった。なにせ分かる人が少なかったのだから。
経絡が行っている気のはたらき
さて、経絡には十二正経がある。
肺・太陽経…内外の気のエネルギーの交感
胃・脾経…気エネルギーを取り込み、消化する
心・小腸経…消化した気エネルギーを吸収する
腎・膀胱経…呼吸した気エネルギーに基づいて行動を準備する
心包・三焦経…気エネルギーを全身に循環させる
肝・胆経…気エネルギーの活用と貯蔵
古典経絡図をご覧になるとわかるが、この十二経は全身には走向していない。六経(肺/大腸、心/小腸、心包/三焦)は、下肢には存在せず、他の六経(胃/脾、腎/膀胱、肝/胆)は、上肢には走向していない。
増永先生は、各経絡が、上肢・下肢のすべてに走向していることを発見され、これを全身十二経として発表された。しかし、それだけではなく、各経絡には副経絡までがあった。だから「気の経絡指圧」では、全身二十四経を学ぶ。
ツボは消失する
さらに、十二経絡は環状にも走向している。したがって経絡は全身くまなくと言ってもいいくらい走向している。
ツボは「虚」といって、気の不足した特定の経絡上に存在する。もっとも、十二経(督脈、任脈を入れると十四経)のうち、ただ一つの虚の経絡といっても、各経絡は全身くまなくと言ってもいいくらいに走向しているので、ツボにあらわれる可能性のある点は、数多く存在する。
「真のツボ」はどこにある?
東洋医学(哲学)で説く「心身一如」とは、「自分の心とからだが一つ」というだけではない。「自分の心と、他者のからだもまた一つである」ということなのである。気の経絡指圧で、「他者の経絡が、自分の心に映る」というのは、そこから来ている。
こんなことは科学的常識から考えたら、まったくナンセンスだろう。科学的常識とは、主客分離(心と物質は別のもの)がタテマエだからだ。
しかし、こちらに言わせれば、主客分離などは、あくまでも世界の一面を分析したもの。生命にとっての、真の現実(リアリティ)ではない。いのちにおいては、術者の心という主観も、受け手のからだという客観も一つなのである。