整体と気功と言霊の原理.54

一、按摩・導引は古代中国の医療体術である
按摩・導引とは何か
「按摩」とは、今から60年ほど前まで、日本人にもっとも親しまれていた民間療法であった。しかし、その地位は、明治・大正・昭和を通じて、医学・医療の本道でないことはもちろん、医療の補助手段でさえなかった。たんなる慰安手段にすぎなかった。
 現在の鍼・灸・指圧のブームの中で、その名前すら忘れられた「日陰の花」の存在である。しかし、本来「按摩」とはそんなものではなかった。中国の医学史をたどると、そのことがよく理解できる。
中国古代医学と「按摩・導引」
 中国医学には「進歩」がないといわれる。しかし、その「進歩」とはどういう意味であろうか?
 中国医学の最高峰である『王帝内経・素問・霊枢』と『傷寒論』は今から二千年も前の漢代に完成し、さらにこの二書に加えて『神農本草経』という薬物学の古典があり、この三書が中国医学の三聖典といわれている。これらの古典は中国医学の指導的役割をはたし、現代でも活用されている。
 このことは「進歩」を特徴とする西洋医学とは対照的である。『傷寒論』と同時代のギリシャのヒポクラテスの医学は、その医の精神は現在にも伝承されているが、臨床的な面ではもはや骨董的存在になってしまっている。

中国医学は時代とともに「変化」はしてきたが、これを「進歩」とはいわない。「進歩」という考えは近代西洋の思想であって、東洋の哲学思想の根本はつねに「変化」にある。周の易経の英語訳は「change」である。
 それでは、この中国の古代医学の文献の中で、按摩というのはどういう地位を占めていたのだろうか。『王帝内経・素問・霊枢』のうち「素問」の中に『異法方宜論』という部があり、次のような章句がみえる。
「砭石ハ、東方ヨリ来リ、毒薬ハ西方ヨリ来リ、灸炳ハ北方ヨリ来リ、九鍼ハ南方ヨリ来リ、導引・按蹻ハ中央ヨリ出ヅ。」『王帝内経・素問・霊枢』は秦・前漢時代(紀元前二百年頃)に出来上がったといわれる。当時の都、咸陽、洛陽、長安はいずれも黄河流域にあった。この文章にある「中央」とは、都を中心とした関中、中原の都市を指し、東西北南とは、その都を中心とした方角と考えられる。
 この文章によると、現在でも中国医術の主流となっている、薬草治療、針灸施術などは、いずれも異法(異国の術技)が、都を中心とした中央に集大成されたものである、としている。

①砭石とは、石バリ、石メスのことで、東方の海岸地区の民(東夷)は魚介類を多食するので、ねぶと(フロンケル、カルブンケル)が多い。それで石の鋭器を用いて患部の排膿をしたり、瀉血をしたらしい。まだ鉄器は使われていない。
 今日、死亡通知などに「薬石効なく」という表現をする「石」はこの「砭石」に由来している。
②毒薬は、いわゆる現代の毒ではない。毒にもなれば薬にもなるという意味の、薬草のことである。中央から見れば西方、揚子江流域の、植物の多い地方住民(西戎)の療法であった。
③灸炳は今の灸のことで、黄河流域の北方、中華思想からすれば、その地の住民は北狄である。寒地であるため厚い獣皮などを身につけていて、身体を露出することが面倒である。そこで露出の容易な手足に灸をして病を治したものと思われる。したがって、経絡の経穴はすべて、手根・足根に集結している。現代中国の鍼灸術が、治病、外科手術の鍼麻酔に、手根・足根に重要経穴を設定しているのも、こうした古代の技術から伝わっているのである。中国医学の古典は、こうした意味でも現代に脈々といきつづけているといえよう。
④九鍼。現在の鍼の原型である。鍼の太さや形が九種類に分けられていて、疾病・症状に応じて使い分けたのであろう。南方から伝わったといわれる。その当時すでに、鉄鍼をもっていた南蛮国はどこであろうか?
 おそらく、古い文明を有するインド、メソポタミアなどから、その医術が北上東漸して黄河流域にまで達したと考えられる。古代文明国家では、現代から予想される以上に、海陸の交流が行われていたようである。
 古代中国医学の思想(陰陽の原理、経絡・経穴)、鍼術、鍼器、薬品など、すべてインドがその源流であるという説さえある。按摩・導引も、その形式・方法のなかには、天竺按摩、バラモン導引(ヨーガ)が取り入れられていると言われる。たとえその源流がどこであろうと、それら異国の術が中国に流れ込み、中央で集大成されて現代につながっていることは事実である。
 それに比べ、五千年前に生まれ栄えたインド医学が見るかげもないほで衰微してしまった姿と、まことに対照的である。
⑤「導引・按蹻は中央より出づ」とあるが、他の四法はいずれも外来のもので、これだけが中国独自の医術であったと解釈する説と、中央の都会生活の人士が、その健康保持のために、身体を動かしたり、あるいは自ら動けない人のためにもんだやったりした、日常の運動法であったとする説と、二つある。それはどちらでもよいが、ただ按蹻・導引が古代中国医術の中核であったことだけはおぼえていてほしい。

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