練功の要領│松静自然

松静自然
松靜自然とは、練功の具体的な操作過程ではいつも、身体がリラックスし情緒が安定しているという条件のもとに進めなければならないということである。
①松
「松」とは、練功中における緊張状態を除くことであり、弛暖と緊張がバランスをとっていくことを体得することである。練功中にこの松の字を念頭におくのは、病理的、心理的、生理的な緊張状態を取り除く、疾病や身体に対する情緒的な心配を取り除き、自分を意識的に緊張していない、リラックスした状態におくことを意味している。練功中にこれらの緊張状態を取り除く過程を放松という。
次に、放松の方法が具体的に表現される内容が、内・外・深・浅に分けられる。静功からいえば、どのような姿勢をとるにせよ、呼吸を鍛錬するにせよ、すべて緊張を避けねばならない。
練功時に現れた身体、四肢、筋肉、呼吸などの緊張の解除が「外松」であり、情緒や注意力の集中面における緊張の解除が「内松」である。一般的にいえば、「外松」の把握は「内松」の把握に比べてはるかにやさしい。ここにも外から内へ、大雑把から精緻への2つの異なる発展段階がある。功からいえば、「外松」の把握が主であり、その後は外松を基礎とし、「内松」の把握が主となる。練功方法の把握が高まるにつれて、外松を主にとした過程が短縮する。そのため練功の熟練者は一たび座れば全身が「松」の状態になるという。
②静
静とは、練功の過程において、情緒の安定を保つことであり、同様に練功中に体得するものである。静は相対的なものに過ぎず、絶対的な静は存在しない。練功で要求される「静」には、内在環境(たとえば心が静かで、情緒が安定している)と外界の環境の2つの側面がある。練功時には「内静」と「外静」の関係を正しく処理しなければならない。つまり、内静を主要なものとし、外静を副次的なものとみなさなければならない。
練功中に「静」が出来ない原因には、準備が不十分なことと、感覚を追求するあまり呼吸を無理に引き延ばしたり、雑念を無理に押さえ込む、姿勢の不自然さ、あるいはある症状の影響などがある。心が静かなることが内静である。
外界に影響を避けるために、目、耳、口を「閉じる」のもよい。
目:物が目に入っても診ないで薄目を明ける。
耳:音が耳に入っても聞こうとせず、注意力をその音に引っ張られないようにする。
口:軽く閉じる
功の蓄積に伴い、環境の干渉は少なくなる。「騒がしい中で静を獲得する」まで鍛錬できれば、あらゆる環境に適応できる。練功しているときは、周囲の人々は安静を保ち、おおきな音をたすようなことをしてはならない。
松と静は互いに促進し合うものであり、松をうまく把握できた者は簡単に入静できる。入静ができれば、さらに松を体得できる。
③自然
自然であるということは、練功中に松ができ静ができるのは、自然という前提のものと行われることを意味する。言葉を変えれば、姿勢、呼吸、用意などが自然が求めていることに合致させることができれば、必ず松も静もできるということである。もちろん気功の鍛錬は意識的に行うものである。従ってここでいう自然とは、成り行き任せということではない。

2024年4月
« 3月    
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
282930