西野皓三│生きる目的

人間は、何のために生きているのか
私は戦争中に中学時代を過ごしました。
当時の日本は軍国主義でしたから、子供たちはみな「日本は神国だ」と教えられ、私も愛国心を持つ少年の一人でした。
中学生は普通の勉強の他に軍事教練に参加しなければなりません。足にゲートルを巻き、模擬銃を持って、行進の練習や戦闘演習を行うのです。くたくたに疲れて帰宅し、すぐに眠るという毎日でした。翌日もまた、朝から勉強と軍事教練に明け暮れていました。
そんな苛酷な日々の中でも、太陽の輝きを目にし、鳥の声を聞き、花の咲き乱れる野原を見ると、「生きていることは、何て素晴らしいんだろう」と思いました。
学校では、国のために命を投げ出して戦うことを教えられ、自分でも「まったくそのとおりだ」と思い、国のため、人のために、自分の命が役立つなら、いつでも命を投げ出す覚悟はできていましたが、同時に身体のどこかで、「やはり、生きていることが一番尊いのではないか」「生きているから、国のために命を投げ出すということもできるのではないか」「死んでしまったら何もできない」という思いもあったのです。
「人間は何のために生きているのか」「人生とは何か」という問いの答えを探して、手に入る限りの哲学書をむさぼり読み、30数巻ある『大思想エンサイマダ』も読破しました。
しかし、どんな哲学書の中にも、私が求めていた答えを見出すことはできませんでした。人間が生きていることのかけがえのなさは、どんな哲学の観念をもってしても表すことはできないのです。
私は、「人間は何のために生きているのか」という問いに答えるためには、人間の身体を知るしかないと思いました。
私は、生きている人間の身体を知るために、大学の医学部に入る決心をしました。生きている人間の身体を知るためには、医学を学ぶ必要があると判断したからです。
医学部の入学競争率はいつの時代も高く、合格するのは大変なことなのですが、当時も27倍という狭き門でした。
大阪市立医専(現・大阪市立大医学部)に入った私は、意欲的に勉強しました。戦時下ということで、大学側も早急に実践的な医学者を育てる必要があり、入学半年で解剖実習をやり、顕微鏡で細胞組織を調べるという、ハードなスケジュールが組まれていたのです。
解剖実習には、4人に一体のライヘ(死体)が与えられましたが、ホルマリン漬けにされたライヘをプールのような水槽から引き上げなければなりません。その中には病死した若者や、首吊り自殺をしたのか、首に生々しい跡が遺されたライヘもありました。その時の思いは、言葉にはないませんが、その日の食事は、喉を通りませんでした。しかし、人間の身体をバラバラに解剖して、細部まで調べることができたことは貴重な経験でした。

2024年3月
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