西野皓三│“動き”の中に

“動き”の中にこそ、本物の知恵がある
生物は進化の過程で、さまざまな形で環境に適応して発展してきました。その精妙な進化は、頭脳(大脳新皮質)が真理を求めた結果、生まれたわけではありません。生物は勝手に生きながら進化してきたのです。
人間も例外ではありません。私たちが「勝手に生きている」わけです。「勝手に生きている」というのは、勝手気ままに生きている、という意味ではありません。細胞レベルで、身体が自然に生きているということです。
たとえば、私たちは頭で考えて、寝ようと思って寝るのではありません。身体が眠くなるから寝るのです。頭で考えて、起きるのではありません。身体が自然に起きるのです。
人間は、自分の頭を使って、自分の意志で生きていると思いがちです。頭で「生きる策」を練ることはできますが、頭で生きることはできません。人間は身体で生きているのです。
生きているとは、動いているということです。人間の営為はすべて、動くことが基になり、さまざまに活動範囲を広げていった結果のものです。
人間にとって最も辛いことは、行動の自由を奪われることです。「人間にとって一番大切なものは自由だ」とはよく言われることですが、その自由とは「働くことの自由」から始まるのです。
人間はより大きな自由を求めて文明を築き、社会や国家を形成し、さまざまな産業やテクノロジーを開発、発達させてきたと言えましょう。
人間の動きには2つあります。一つは、動こうと頭で思い、頭の命令で動いている動きです。もう一つは、生存のために、身体が勝手に動いている動きです。
普通、身体を動かすということは、頭で考えて動いていると思いがちです。行動がすべて頭の指示で動いていると思い込んでいるのですが、それは違います。
その典型が呼吸や内臓の動きです。私たちは頭で考えて、息を吸ったり心臓を動かしているわけではありません。また、生まれたばかりの赤ん坊が誰に教えられるわけでもなく、母親のおっぱいを吸うのも、この「勝手に動く」という動きの例です。
この「勝手に動く」という動きこそ、生命そのものを支える生物本来の動きなのです。もし、その動きが鈍くなれば、それは人間にとって致命的なことになりかねません。