西野皓三│すべて「作り物」

社会の制度もすべて「作り物」
人生というものを考える時、まず、どのような心掛けを持ち、どのように行動するのかといったことが問題となります。
こうした心掛けや行動の規範は、それぞれの時代や国家、社会環境に準じて作られるものです。
たとえば、江戸時代に生きていれば、幕府に対していかに忠実に、そして社会(共同体)の掟を犯さずにいかに生きるかということが、人の生き方の暗礁のコンセンサス(合意)になります。
こうした社会の仕組みは時々刻々と変化していくものです。時代や国によって、そのスケールの大小、周期の長短などまちまちですが、歴史とは、こうした仕組みの作り替えの変遷と言えるでしょう。その仕組みの実態を認識し、その矛盾を改革しようとすることで社会は徐々に進歩していきました。
しかし、高度に近代化された社会に住んでいる私たちは、江戸時代の人々と比べて、はたして人間の生き方としてどれくらいの進歩をしたといえるでしょうか。少なくとも、人間が作り出したそれぞれの仕組みの中で、その仕組みに準じて生きていくということには変わりがないように思えます。
人間は社会的存在です。社会的存在とは、仕組みの中でしか生きられない存在だということです。
こうした社会の仕組みは、一般に普遍的だと思われている人間の理性が作り出したものではありません。社会を形成するということは、大本において生物としての本能が生み出したものです。しかし、社会の個々の仕組みは、合理的には解決できない偶然と必然の織り成すさまざまな事情の中で、半ば場当たり的に作り出されたものです。
人間が生きていくうえで、切っても切れない社会の仕組みなるものは、実は人間の中で行き当たりばったりに作り出した、相対的なものであるということを知るのは重要です。
人知(理性)はたいへん素晴らしいものでありながら、同時に現実の中では多くの限界を持っているのです。
すべての生物は自然の摂理(天智)に則って生きています。人間も自然の摂理に生かされています。
人間の真の生き方を捉えようとする時、最も大切なことは自然の摂理(天智)と人為(人知)との違いをしっかりと知り、その調和を実現することです。