西野皓三│言語と幻想②

言語が幻想を生み出す②
人の気持ちや考えを、言葉を通じてありのまま理解してもらうことなど、本当は不可能に近いのです。人にはそれぞれの所属する社会(仕組み)に応じた立場があるわけですから、ある程度の理解や合意ができたとしても、本質的な解決を言葉だけで行うことには無理があります。
国際紛争や外交折衝の場では、それぞれの国の政的、経済的立場を背負った人々が「問題解決」のために話し合っていますが、話し合いだけで問題が解決されたことがあったでしょうか。
湾岸戦争がいい例です。あの時も「話し合えば分かるはずだ」という人々がかなりいましたが、結局、フセインには西側自由主義諸国の論理が通じず、戦争に突入することになりました。
これは言語というものを考えた時、まったく当然の結果なのです。
仮に話し合いが成功したように見えても、その「話し合い」の裏にあるのはパワー・ポリスティックスと呼ばれる力関係なのです。経済的な力や軍事的圧力のおかげで戦争に至らず、調停されたということにすぎません。
日常生活で起こる意見の違いに関しても、話し合いだけで相手を完全に説得するということはほとんど不可能です。
「そんなことはない。私たちはちゃんと日々話し合い、分かり合っている」と言う人もいるかもしれません。しかし、それは、相手の話(言い分)を分かっているのではなく、正確には「分かったつもり」になっているにすぎないのです。
教育の普及や、グローバルな情報ネットワークの確立で、人類は年々知性を増しているはずです。しかし、ちょっとしたトラブルでも、弁護士が介入しなければ解決できないことは増えています。日本より合理的な社会であるアメリカには、日本よりもたくさんの弁護士がいます。裁判、調停は毎年増えつづけ、弁護士はどこでも大忙しです。
キケロに代表される、ローマ時代の雄弁術の理想は、裁判で被告を有罪にも無罪にも自在に弁ずることができるということにありました。近代の裁判が目指す方向も絶対的な善悪を裁くというものではありません。法律という「言語」を介した審議のプロセスを経て、お互いの利害を調達するということにあるのです。
日本でも重視され出したディベートという討論のテクニックも、基本的には同じです。レトリックと論理を駆使して、自分の考えというバーチャル・リアリティーを、いかに説得力のある(リアルに思える)ものに見せるかということがディベートの本質です。
裁判やディベートは、言語がバーチャル・リアリティーであることを最大限に活かした人間の文化だと言えましょう。

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