西野皓三│美学は哲学の亜流①

なぜ、美学は哲学の亜流と言われたのか①
人間は事物を理解するとき、言語という武器を使って分析(分節)総合を試みます。
言語は人間の知性と不可分に結び付いています。近代以降、科学およびテクノロジーが目覚ましく進歩したのも、数学や物理をはじめとする言語のバリエーションのおかげだといえます。
しかし、言語は、時として事物の全体や本質を捉えにくくしてしまうことがあります。言葉というバーチャル・リアリティーの世界が、実体としてのリアリティーから離れて独り歩きをしてしまうからです。
18世紀半ばに「美学」(aethetica)という学を樹立したバウムガルテンという哲学者がいます。バウムガルテンは、カントが「当代随一の形而上学者」と敬愛したほどの人です。
当時の哲学の世界においては、理性(悟性)が絶対的な価値の基準とされていました。バウムガルテンは、感性の「美」を、なんとか哲学的価値の仲間に入れよると試みたのです。
彼は未完に終わった上下二巻の著書『美学』を「感性的認識の学」と定義しました。そして認識論を二部門に分け、上級認識である「悟性的認識」を扱う論理学、下級認識である「感性的認識」を扱う美学が認識論を構成するのだと主張して、哲学体系の中に初めて美学を位置付けました。

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