西野皓三│プシュケとソーマ

身体のどこをとってもプシュケ
テューモスは語源的に見ると“気”や呼吸と深い関係があるのです。
エートス同様に、テューモスというギリシャ語は、日本語に訳すのがひじょうに困難な単語だと言えましょう。
ギリシア哲学研究の第一人者である藤沢令夫先生は「気概」と訳されています。日本人の感覚では気概というと、テューモスを精神的なものとして勘違いされるかもしれません。
もちろん藤沢先生はテューモスにおける身体の重要性を知悉しておられます。
私は、1994年に全国大学体育連合主催の大学体育指導者研修会で、藤沢先生と一緒に講演する機会がありました。その講演の中で、藤沢先生はこのプラトンのプシュケとソーマ(身体)に触れられてこう述べておられました。
プシュケとソーマは宇宙全体においてもお互いに浸透し合って一体的になって存在する。
だから、実際上はソーマ(身体)は、すなわちそのままプシュケ(魂)に他ならないとさえ言えそうな感じであります。
人間の場合について言えば常識的なイメージのように、魂(プシュケ)は身体(ソーマ)のうちのどこかに、脳とかそういうところに局在するわけでは、けっしてない。魂にはいろんな働きがありますが、たとえば考える働きといったような機能は、一応局在化することも可能かもしれないけども、魂全体は、身体のうちのどこかに閉じこめられてあるのではなくて、身体のどこをとってもプシュケであると見なすのが、プラトンの解釈といったことを別にしても、私としては本当に正しい考え方ではないかと思っています。
講演の後、伊藤順蔵全国大学体育連合理事長、研修部長鎌田章神奈川大学教授、遠藤拓郎図書館情報大学教授を交えて、藤沢先生と琵琶湖湖畔で鮎料理に舌鼓を打ちましたが、その時、ギリシア哲学の泰斗、藤沢先生は「西野さんと私の講演のテーマは、まったく同じでしたね。長年ギリシアを研究して到達した最も重要なテーマを、西野さんはすでに実践しているというのには驚きました」とおっしゃいました。
「身体のどこをとってもプシュケである」という藤沢先生の言い方は、「60兆の細胞一つひとつが呼吸をしており、その一つひとつに“知”がある」という西野流の身体の捉え方と、まったく同じだと言えます。