古歩道│医原病認めないのは①

医原病を認めないのは交通事故を認めないのと同じ①
「確かに医者や病院で行われる医療行為の中には、相当、危険なケースがあり、それが結果的に死期を早めることもあるだろう。
だが、それを医原病といって『医者のせいだ』『病院のせいだ』と批判し、ちょっとした落ち度をあげつらって厳しく追及していけば、ただでさえ医者不足が叫ばれている現状、医療体制そのものが崩壊する。医療体制が機能しなくなることのほうが、結局、沢山の人の命を危険にさらすことになりかねないか。
医原病を取りざたするのは、年間1万人が交通事故で死ぬから危険なので車に乗るなという議論と一緒。実に馬鹿げている」
ここまで読んだ人の中には、そう反論する人もいるかもしれない。一見、正論のようにも思える。これを「正論」と思っている時点で、実は、すっかりプロパガンダに騙されているのだ。
医原病の存在を隠蔽している今の状況が、実は「医原病」を生み出す土壌となっている。だかたこそ早急に医原病を死因として認める必要があるのだ。
先の例でいえば自動車は、ある面、人殺しの道具になる。社会は不可欠な存在をやめるわけにはいかないという意味で医療と似ている。ならば医療体制も車社会同様のシステムにしたらどうか。そう提案しているにすぎない。
車を運転していれば何ら落ち度がなくても人身事故の危険はつきまとう。それで運が悪ければ死亡事故になりえる。過失も意図もなく、ただ車を運転していただけで、大怪我をさせ、障害や不具を与え、下手をすれば命まで奪いかねない。
この点は、医療も同じだろう。
車社会では、事故が起きれば、すぐに警察がやってきて、事故現場を検証する。そして過失の有無と被害状況に応じて、裁判で刑が確定する。死亡事故の場合、ドライバーが悪質だと殺人に匹敵する重過失致死罪まで適用される。過失の度合いが低く保険会社を通じて被害者遺族と示談が済んでいる場合でも、まず禁固刑の実刑判決が出る。人の命を奪うというのは、それだけの罪があるからだ。死亡事故で警察が即座に運転手を逮捕拘束するのも「見せしめ」というより、予期せぬ殺人行為に加害者(運転手)がパニックを起こして自責の念から自殺しないよう保護する目的なのだ。
私たちの社会は、「車が危険」という認識とコンセンサスをちゃんと持っている。だから厳しい交通規則を作り、インフラを整備し、交通警察などの高い運用コストを払って、その危険性を少しでも減らそうと努力してきた。それが当たり前であり、常識であると誰もが考え、それを怠れば批判するだろう。
ところが、この常識が通じないのが「現代医療」なのである。
医原病は、車の例題でいえば「交通事故」のことだ。医原病を認めないというのは、要するに交通事故で亡くなった人の死因を「自動車事故」でカウントせず、直接の死因となる「圧死」「失血死」「ショック死」に分類するのと一緒なのである。