古歩道│江戸の健康水準①

江戸の健康水準は世界一だった①
日本は、17世紀の江戸時代以降、約250年の長い平和な時代を迎えた。
当時の江戸、今の東京は、10万規模の都市から、18世紀半ばには100万人を超える大都市となる。わずか1世紀で最大の人口を誇るほど繁栄した。
江戸は、古代ローマや19世紀のロンドンやパリのように、外国の富を奪い続けて繁栄したわけでもなく、ごく少数の支配階級に大多数の流民、貧民で成り立っていたわけでもなかった。実際、江戸の特徴は町人文化で識字率は驚くことに7割に達していた。浮世絵や歌舞伎などの娯楽が発展するほど治安もよかった。
ここから導き出される答えは、「江戸の人々は元気だった」ということだろう。元気とは健康だったという意味で、少なくとも頻繁に疫病が蔓延したり、いい加減な衛生環境だったり、少しでも病気になるとバタバタ死んでしまうこともなかった。この時代としては世界最高の医療体制が備わっていた可能性は高いのだ。
もちろん、加速度的に戦場医学を進歩させているヨーロッパ諸国と比べれば、江戸の医療技術は遅れていた。実際、江戸時代、貿易制限していた日本はヨーロッパの先進的科学技術を、オランダから学んでいた。この時代、ヨーロッパはニュートン力学に代表される近代科学の黎明期に当たるが、そのなかで日本人が最も重要視したのが医学分野だった。「蘭学」が西洋医学の代名詞となっているのが、何よりの証拠だろう。当時の日本で最も学ぶべき価値があり、早急に導入したい先進技術は「医療」が断トツだったのである。そのくらいレベル差があったわけだ。
しかし、遅れているのは医療の「技術水準」であって、「健康水準」ではなかった。都市の人間が健康かどうか、という面では江戸はヨーロッパの大都市に比べて、はるかに程度が高かった。そうでなければ事実上の鎖国状態で外国から富や食料が無尽蔵に流れ込まない状況下、豊かな町人文化が花開く「100万都市」にはなりえないからである。
その江戸の医療体制は、いったい、どんなものだったか。
複合型医療体制といっていいだろう。医療従事者が多重構造になっているのが特徴だ。