古歩道│江戸の混合医療②

完成度が高かった江戸の混合医療②
病気や怪我の度合いに応じて、段階的に医療担当が代わって対処する。
もし、徳川幕府が「医療行為は蘭方医以外、認めない」「違反者は罪人」と決定したとしたら、江戸は病人だらけとなってスラムとなっていただろう。
段階に応じて、やれることをやれる人がやる。これが江戸の医療体制を支え、人々の健康を守ってきた。現代人の感覚からすれば、江戸の医療体制は古臭いと感じるだろうし、医療水準も低いかもしれない。
とくに現代とまったく違うのは、当時の人は、病気や怪我に対して必ずしも「完治」を目指していないところにある。まずは日常生活に復帰できる程度に回復すれば「よし」。あとは普段の生活のなかで、病気や怪我と付き合っていきながら、ゆっくりと完治を目指す。完治は結果であって目的ではなかった。だから「やれる人がやれることをやる」というやり方で医療が回っていたのである。これを「養生」という。
江戸時代は250年続いた。必要に応じて蘭方医、漢方医、鍼灸師、整体師の数は自然と需給バランスが取れていたことだろう。平和な時代の医療体制としては、相当、完成度は高かったはずなのだ。
平和な時代が続く「現代の日本」でも、この江戸システムに学ぶべき点は多いはず、というより、日本を含め、先進国の多くは、これに近いシステムに変更されていなければならないはずなのだ。
それが現状、どうか。医療といえば医者がするもの。医学部を卒業し、医師免許をとった者でない人間が「医療行為」をすれば罪に問われる。現在でも鍼灸師や整体師はいるが、医療行為として「保険」が適用されるのは、あくまで医師による診断で「使ってもよい」と許可されたときだけ。しかも伝統的な手法は「非科学的」とことごとく否定され、西洋医学によって「改変」「捏造」された手法だけが許されている。漢方医、鍼灸師、整体師は、医師より格下に扱われ、その医療行為は西洋医学の「補助」にすぎなくなっている。
いうならば「医療の階層化」である。西洋医学の医師を頂点にした支配構造のなかで、西洋医学以外の医療従事者は「奴隷階層」として扱われている。本来ならば協力しあい、補完し合う関係が、支配と隷属という歪な関係になってしまっている。これが、何度も指摘してきた「西洋医学体制の人殺し医療」へとつながっているのだ。
そのかっこうのサンプルとなるのが「脚気」であろう。
脚気は結核とともに日本人の二大疾患といわれてきた。江戸時代から「江戸患い」と呼ばれ、戦前、昭和40年代、1960年代まで「国民病」となって、年間2万人前後の死者を出してきた。
江戸の医療体制の時代と、西洋医学に蚕食されていった明治期から昭和期。
似て非なるものとなった2つの医療システムが、どう脚気に取り組んできたのか。その違いを見ることで西洋医学が抱える構造的欠陥、人殺しの「医療体制」へと変異していくメカニズムを理解することができるのである。