古歩道│日本人と脚気②

日本人は戦後も脚気に苦しんだ②
実際、旧日本軍では1日6合から7合、ご飯12杯から14杯が基準で、炭鉱労働などきつい肉体労働などでは「一升飯」(10合)を掲げて求人していた。だいたい1日6合というのが成人男性の「お腹いっぱい食べる」状態だった。これだけ食べるのは、米だけでエネルギーとなる炭水化物だけでなくタンパク質も取っているからであろう。今の日本人の若者ならば、日の丸弁当(大きな弁当箱にご飯だけ詰め込み、真ん中に梅干しが一個だけ乗っている)を見れば「こんなの食べられない」というだろうが、一昔前までは、これが常識だった。少なくとも千万人オーダーレベルの日本人が、そういう食事をしてきたことになる。
米は、小麦並みにビタミンBを含んでいるが、その多くは米糠の部分を削って精米している米しか食べなければ、確かに「ビタミンB不足」という異常な状況に陥るのも頷ける、といいたいところだが、却って、疑問は深まる。
脚気の大量発病は、どう考えても白米オンリーの食生活が原因なのだ。年間何十万人もの重症患者を出す前に、食事の改善、一番、簡単なのは精米する前に玄米に変えれば簡単に対処できる。
ちなみにうちの曾祖父は、精白しすぎたパンで鉄分不足になっていた人たちに「鉄紛」を薬として販売、大儲けをした。その曾祖父が、当時の日本にいたなら、きっと米糠を固めた「脚気の薬」でぼろ儲けしたことだろう。そういうビジネスだってありえたはずだ。ユーロッパでは17世紀には、ビタミンC欠乏症には柑橘類がいいと気づき、船乗りの必需品となってきたぐらいなのだから。
容易に必要量を摂取できるビタミンBは、それが不足すれば、最も影響を受けるおが心臓で、心臓の活動が弱るために末端、特に足に十分な血液が送り込めなくなって、足が麻痺から壊死へと悪化していき、最後は心臓麻痺で亡くなる。先の脚気の診断は、足にむくみがでていないかを調べるようだが、かなり怖ろしい病気なのである。
それを戦後20年近く経っても放置していた。
まったく信じられない話で、思わず「日本人はバカなのか?」と考えそうになるが、そんなことはありえない。事実、調べれば、かなり早い段階、すでに「江戸患い」と呼ばれた江戸時代には、脚気が「麦飯で治る」と、広く知られていたようなのだ。