古歩道│ドイツ医学界②

脚気を細菌由来と見誤ったコッホ②
ドイツ医学界が、当時、世界最高レベルといっても、「脚気」は日本の社会制度が生み出した病気で、欧米人は見たことも聞いたこともなかった。だから病状だけ見て安易に「伝染病」と考えた。心臓にダメージを与える何らかの細菌が存在するはずだから「脚気菌を発見しろ!」と、日本人医師たちに命じた。しかも、そう勅命を出したのはドイツ医学界のドン「コッホ研究所」のロベルト・コッホ本人なのである。それを聞いたとき、日本の誇る頭脳集団は、どんな気持ちだったのだろうか?きっと涙が出たのではないか。俺たちが学んでいるのは、この程度の連中なのか、と。
逆らうことはできなかった。ありもしない脚気菌を探して、日夜、意味のない研究を続ける。コッホによってインドネシアまで派遣された日本人研究者もいたぐらいだ。
麦飯を食べれば治るのに…。戦場で敵の弾ではなく、脚気で倒れる兵士を見ながら、医師たちは心の中で嘆き悲しんだことだろう。
しかし麦飯で治せば、イコール、栄養素不足による病気と認定することになる。伝染病説を唱えるコッホを否定してしまうのだ。あの北里柴三郎ですら「脚気は細菌由来ではない」と指摘するのがせいぜいで、栄養不足病とまでは踏み込めなかった。それでも北里柴三郎は、日本医学界から猛烈な批判を浴びた。余計なことを言うな、と。親分を怒らせるな、と。頼むからそこには触れてくれるな、と。
この時代、日本の医学界は「ドイツ医学界」の植民地に堕していた。自由も権限もなくドイツ医学界に隷従するだけの組織だった。
その結果、日本人は脚気によって「大量虐殺」されることになった。その数、実に200万人と推定されている。明治期以降から昭和期の脚気は、典型的な「医原病」、いや、史上空前の医原病でもあったのだ。
日本の医学界は、人命を損ねてまで、何に怯え、何を守ろうとしてきたのだろう。