古歩道│ドイツ医学界①

脚気を細菌由来と見誤ったコッホ①
日本の軍医はレベルが異常に低かった、というわけではない。
実は明治維新後、国際社会にデビューした近代日本で、最も「欧米」に近い技術水準にあったのが医学だった。
事実、明治維新から20年過ぎた1890年代以降、日本の医学者たちは相次いでノーベル賞級の研究を発表してきた。その代表が北里柴三郎だ。1889年には破傷風菌発見、翌1890年には、なんと破傷風の治療法となる「血清療法」を考案する。さらにペスト菌を発見(1894年)するなど、文字通り、世界トップクラスの医学者となる。また、秦佐八郎は1910年、梅毒特効薬「サルヴァルサン」の開発に成功するなど、素晴らしい活躍をしているのだ。
考えてみれば、それほど驚くことでもあるまい。日本は17世紀中期から約200年、蘭学として西洋医学を学んできた。欧米の科学水準に最も近いレベルを維持してきたのが、実は医学の分野であった。実際、北里は幕末期、地元の蘭学医の塾で学んだ後、新たに組織された東京帝国大学医学部に入学している。日本が長い時間をかけて培ってきた西洋医学のベースがあったから、わずか20年で世界のトップ水準に追いつくことができたのだ。
つまり、日露戦争時代の日本の医学研究者の水準は、世界でもトップクラスにあった。繰り返すが、江戸時代の漢方医が気づいた「脚気対策」を思いつかないはずはないし、何より文献や資料が残っているのだ。知らなかった、というほうがおかしい。
とっくに脚気が白米食による「偏食」が原因で、その対策には麦飯が有効という程度のことは分かっていた。そう、分かっていながら「対策」ができなかったのだ。
理由は簡単である。
その権限が日本の医学者にはなかったからだ。日本医学界を支配している上位組織から「麦飯」による脚気対策の許可がおりなかったのである。
正確に記せば、上位組織であるドイツ医学界が脚気を「伝染病」と決めつけていた。来日して脚気という病気を知ったドイツ医学界は、何らかの細菌に由来する日本の風土病と考えていた。そのために日本の医師たちは「麦飯治療」を行えなかったのである。