古歩道│戦争の敵は脚気②

日露戦争での最大の敵は脚気だった。②
江戸時代、すでに脚気の原因は白米食にあり、麦飯などが有効ということは経験則上、わかっていた。ならば3度の食事のうち、1食を麦飯にするなど対処法はあっただろう。とくにわからないのは軍隊である。
白米オンリー主義の食事方法のために、日清戦争(1894年)、日露戦争(1904年)で、大量の兵士が亡くなっているのだ。もちろん、これ以外の軍事行動でも多くの兵士が脚気で亡くなっている。
日清戦争では、総病死者20159人で、うち脚気の病死者が、なんと8割近い16095人にのぼる(陸軍省医務局編『明治27.8年役陸軍衛生事蹟』)。つまり、戦死者のほとんどが、敵の銃弾や攻撃でゃなく「脚気」で亡くなっていたのである。
延べ100万人を動員した日露戦争は、もっと凄まじい。この戦争では、25万人の戦傷者が出て入院治療を受けたが、うち14万人が脚気の患者だった。入院の必要としなかった軽い症状を含めれば、トータル25万人の脚気患者を出しているのだ。
日本軍の最大の敵は、旅順要塞でもなければバルチック艦隊でもなく「脚気」だったといわれるゆえんである。戦史46423人のうち、脚気による体調不良で動くことができずに敵の銃弾を受けて亡くなった兵士も多かったことだろう。下手をすれば日露戦争は、脚気によって敗戦しかねない非常に危険な状況だったのだ。
軍隊には軍医がいる。これだけの被害が出ていたのだから、当然、脚気の対策は最優先課題として取り組まなければならない。先ほど述べたように、麦飯を食べれば簡単に対処できるし、麦飯に効果があるのは、江戸時代から広く知られていた。軍医は、明治維新政府が、富国強兵の一環として、莫大な予算を組んで育成してきたスーパーエリートである。彼らの頭脳をもってすれば、その程度の対処など造作もなかったはずなのに、なぜか、彼らは「麦飯」治療に頑なに反対し続け、無意味に兵士を死に追いやっていった。
その軍医のトップは森林太郎、文豪「森鴎外」である。軍医として中将にまで上り詰め、その傍ら数々の小説で近代文学の礎を築いた明治期を代表する「才能」ですら、脚気に麦飯がいいと知らずに「大量殺人」に加担していまったのだ