古歩道│西洋医療へ体制変更①

西洋医療オンリーへの体制変更①
昔の日本の医療事情について質問した際、本書担当編集者が興味深い話をした。
「私が小学生になったころですから、1970年代前後ですか、そのころから風邪でも親が『病院に行け』というようになった気がします。それまでは『寝てれば治る』って感じで、桃缶を食べさせてもらって終わりです。家族もよっぽど酷くならなければ病院には行ってなかったはずなんですよ。実際、年寄りなんかは家でお灸とかやっていましたからね。ちょっとした病気や怪我は、その家も自家製の薬草で済ましていました。私の親と山菜や薬草を摘んだりした記憶があるぐらいですから。それが1970年前後を境として変わったように思うんですよ。私は注射が嫌いで病院には行きたくなかったのですが、親は『今は病院のほうが薬もたくさんもらえて安くすむんだから、文句を言うな』と、よく叱られたもんです」
担当編集者は、ごく平均的な家庭の出のようなので、これが1970年前後の日本の状況と思って間違いあるまい。このころから日本の医療体制は大きく変わった。それは統計データを見れば一目瞭然だ。
戦争末期の1945年、600台にまで激減した病院数は、昭和30年代(1950年代)、わずか10年で戦前並みの4000前後にまで回復、1960年には6000を突破、1980年代から現在まで、ほぼ9000台で推移していく。
戦前の病院は、基本的に半分以上が公営病院で、その公営病院の多くは、結核や疫病などの隔離病棟だった。一般向け外来診療型は少なかったのだ。公営病院の数は、戦後もだいたい同じなので、一気に民間病院が増えていったことがわかる。
とくに顕著なのが「町医者」診療所であろう。戦前には3万前後だったのが、戦後は倍々ゲームで増え続けて、現在では3倍相当の10万前後をキープしている。