古歩道│西洋医療へ体制変更②

西洋医療オンリーへの体制変更②
西洋医の数も明治維新後、2万人からスタートして(おそらく蘭方医であろう)、太平洋戦争直前、医師急増政策で6万5000人まで拡大するものの、70年間で3倍強にしか増えなかった。それが戦後60年間で27万人(2004年)まで急増している。
日本の昭和初期(1930年代)の経済力は、昭和30年代前後(1950年代)にほぼ匹敵する。比較すると医師の数は戦前6万人に対して戦後が10万人。相当数、増えていることがわかる。経済力が同じなら医療従事者の必要数も、さほど変わらないはずだ。しかも戦後期は、抗生物質のペニシリンや結核の特効薬ストレプトマイシンが入っていた。前章で紹介したように、脚気治療薬のアリナミンも完成していた。戦前、不治の病として医者がかかりきりになっていた病気の多くが、薬で簡単に治療できるようになっていたのだ。担当編集者の発言にあるように、庶民の多くは伝統的な民間療法を活用していた。その意味で言うならば、西洋医の数は、多すぎるぐらい増えていたことになる。逆に言えば、その分、民間療法が廃れていったのだろう。
要するに戦前と戦後で日本の医療体制は、戦前の西洋医を頂点に民間療法を補助とした複合的な医療から、戦後、西洋医オンリーの医療へと変わっているのだ。
その医療体制変更を主導したのが日本医師会である。正確に記すなら1874年(明治7年)、西洋医の団体として生まれた「旧日本医師会」ではなく、敗戦後の1947年、GHQ(進駐軍)によって解体再編されて新生した「日本医師会」が、である。