医師会のルーツは大日本帝国の軍医組織①
新生した日本医師会の目的は、戦後日本を徹底的に欧米型医療へ改変することだった。
前章でも紹介したが、明治維新後、日本は医療ギルド、とくにドイツ医学界ギルドの傘下に入った。しかし、もともと西洋医の絶対数が足りなかったことから、大学で育成された西洋医の多くは、軍医として軍関連、大学の感染病疫病対策をする保健所、感染病治療の隔離病棟を持つ国立病院への配置を優先してきた。一般的な外来医療は、必要最低限に留められ、その分、江戸時代から続く民間療法で賄ってきた。
戦前の日本は列強国の一つで、アジアに強い影響力を持っていた。その日本が欧米型医療に完全転換しないのだ。しかも昭和初期になると、日本は欧米列強に対抗し独自路線を歩み出し、欧米医療ギルドの影響下から次第に抜けていった。戦前の日本は、医療ギルドの憎き「敵」となっていたのである。
当然、日本の敗戦は医療ギルドによる日本医学界の再占領、完全支配の格好の機会となる。巧妙な陰謀が、ここで仕組まれていく。
まず、旧日本軍の解体で大量の軍医を放出する。この軍医が「尖兵」となった。焼け野原になり、栄養状態も最悪だった敗戦後の混乱期。西洋医の需要はすこぶる高かった。彼らは日本中に派遣され、西洋医独占体制の土台を作ることになる。
医療ギルドの指令を実行するGHQ側の窓口が、アメリカ軍事科学調査団「コンプトン調査団」のマレー・サンダース中佐である。サンダースはキャンプ・デトリック(現フォード・デトリック)所属の医学博士。医療ギルド。次の章で取り上げる「国際医療マフィア」の中心メンバーでもあった。
さて、このサンダースは、惜しみなくペニシリンやストレプトマイシンなど画期的な医薬品を日本に提供する。結果、当時の日本人は「西洋医学は優れている。素晴らしい医療」と、すっかり洗脳された。