古歩道│医師会は軍医組織②

医師会のルーツは大日本帝国の軍医組織②
こうして地ならしが終わったところで次のステップとなる。
日本医師会の登場である。敗戦から2年後の1947年、GHQの指導、つまりサンダースの指導で再編された日本医師会の役割は、まず、軍医の大半をそのまま開業医にするこちにあった。実際、戦争末期、国内の医師が1万人まで激減したなか、軍医が解放されたあと、国内には6万人に及ぶ医師がいた。先ほど、戦後、民間病院と診療所が急増したと述べたが、急増したのは「退役軍医」の受け皿となったからなのだ。
もう、お気づきだろう。この退役軍医の民間病院が集まって生まれたのが「日本医師会」なのである。軍医は「軍隊の中の、もう一つの軍隊」という医療ギルドの極みといっていい。日本医師会は、旧日本軍の陸海軍医組織が、そのまま基本構造となっている。軍隊なのだから上意下達が徹底され、命令指揮系統は強固となる。文字通り、「戦う医療軍団」といっていい。医師会は、傍目には開業医の親睦団体にしか見えない。それで、すっかり、この本質を見落としてしまうのだ。
医師会という「医師軍団」を率いるジェネラル(将軍)、それが「ケンカ太郎」「武見天皇」の異名を持つ武見太郎である。1957年から13期25年、医師会会長を務める。
戦前から武見は東京銀座の一等地で開業し、多くの有力政治家たちの主治医を務めていた。そのうちの一人に戦後日本の体制を設計した大宰相、吉田茂がいた。また武見は理化学研究所で仁科研に在籍したキャリアを持つ。仁科研とは、「クライン=仁科公式」で名高い原子物理学者である仁科芳雄が主宰する研究チームのこと。戦時中は日本の原爆開発の中心だった「二号研究」を行っていた。その仁科研で武見が研究していたのは放射能による人体への影響なのだ。
医療ギルドから「日本医師会」を率いるよう白羽の矢が立ったのも当然といえば当然で、設立当初から実質的なリーダーとして辣腕を振るい続ける。
目的は、ただひとつ、庶民の医療として根強く残ってきた民間医療の完全排除、徹底的な撲滅である。
そこで武見は、まず開業医の体質強化を図る。西洋医がぼろ儲けできるよう制度改革に取り組んでいくのだ。それが「医師優遇税制の導入」と「医薬分業の骨抜き」である。これで医者は何もしなくてもぼろ儲けできる「商売」となった。呆れるほど酷い話なので、多少、詳しく解説していきたい。