医師優遇税制の誕生と薬価差益①
まず、1954年に導入された医師優遇制度は、医者(開業医)の全収入の7割を経費と認め、課税対象は残り3割だけでいいというものだ。ただでさえ税収が少ない時代である。
大蔵省は猛烈に反発し、国税庁は激怒した。それでも、この法案が可決した背景には、武見のネゴシエーションによるところが大きい。なんてことはない、主治医をする吉田茂を介して、神奈川県の大磯の吉田邸に当時の池田勇人大蔵大臣(現財務大臣)を呼んでねじ込んだらしい(1951年)。この時代、まだ戦後の傷跡は生々しく、折しも朝鮮戦争が勃発、米ソ冷戦が激化していた。そんな時代状況だけに「国民の健康を維持するには医師を優遇したほうがいい」「近い将来、日本にも戦火が及ぶ可能性がある。西洋医はとくに大事にすべきだ」という武見の論法は、政治家たちに受け入れやすかった。
さらに医薬分業の骨抜き化は、もっとえげつない。現在では、病院で診療を受けた際、医薬品は、病院で処方箋をもらい、最寄りの調剤薬局で医薬品を受け取って代金は薬局に支払う。この医薬分業が、日本では1990年代までになし崩しになっていた。
どんな病院でも薬局が併設され、そのまま病院が「お薬ですよ。」と出していた。なんの問題があるのか、わからない人も多いかもしれない。実際、病院で薬をもらい、支払いも一緒のほうが便利と、医薬分業に反対する人も少なくなかった。
ところが、医薬兼業は病院、開業医にとって、とてつもない「打ち出の小槌」「金の卵を生むダチョウ」だったのである。
通常、保健医療の場合、医薬品の値段は「薬価」として国が定めている。医薬分業ではなく医者が兼業した場合、「薬価差益」が生じるのだ。ピーク時には、その額1兆3000億円にものぼった。日本の病院数は、診療所を含めて11万。単純計算で病院一つ当たり年間1千万円の「薬価差益」があったことになる。
薬価差益とは、たとえば1錠100円のペニシリンを処方すると、国民皆保険の国民健康保険ならば3割負担、製薬メーカーはペニシリンを100円で卸し、70円は公的負担分。1錠につき患者は30円を支払い、薬を処方すると10円が別途、医療保険から支払われて、それが収入となるとしよう。(数字は架空)。メーカーは薬局に薬を卸し、処方したサービス代金は薬局が受け取る。病院側は薬の販売にノータッチとなるわけだ。医者の処方箋には「ペニシリン系抗生物質を何錠」としか書いてない。抗生剤には、いろんなメーカーが似たような薬を販売している。どのメーカー品を使うかは薬剤師の判断になるが、薬自体の処方や使用量の判断はできない。ここがミソなのだ。
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