古歩道│日本医師会による…①

日本医師会による日本医療占領①
日本医師会が、いかにして日本の医療体制を乗っ取ったのか、今一度、整理しよう。
まず医師会は、リーダーである武見太郎が吉田茂の主治医という立場を利用して「医師優遇税制」の導入に成功する。
戦後の混乱期で日本自体が貧しかった時代である。優遇税制で病院が潰れにくくなるだけで民間療法より圧倒的に有利になる。これで全国各地に医師会系列の病院や診療所が隅々まで広がった。そして戦後復興するや、医師会は国民皆保険導入するや、医師会は国民皆保険導入を政府に強く働きかける。国民皆保険制度は、敗戦直後の1948年、GHQの指導で、公的医療保険となることが決まっていた。国民皆保険を否定してきたアメリカ本国と違う決定をしたのは、それが日本医療体制乗っ取りに不可欠だったからだろう。
1961年、日本医師会は全面的ストライキを盾に政府に要求したのは、保険対象医療を「西洋医学」に限定させることにあった。庶民の間に広く普及していた鍼灸院やあん摩院、政体接骨院は、適用外にしたのである。
高度成長時代になると、3割負担の国民皆保険導入に加え、経済発展する企業や各種団体を中心に健康保険組合の創設ラッシュが起こった。先にも述べたが、健康保険は「定額制」が売りだった。のちに歩合制となっても1割負担と低く抑えられた。
この瞬間、「病院は高くて庶民にはなかなか行けない」という江戸時代以降、300年続いた日本人の価値観は崩れ去った。西洋医の病院は、日本で最も安い「医療」となったのだから。その一方で医師会は、病院経営を日本で最も儲かる「商売」へと進化させていく。それが先ほど紹介した「薬価差益」である。
当たり前だが、この薬価差益は脱税なのだ。ただでさえ医師優遇制度(この制度は1979年まで、25年まで、25年間続いた)で恵まれているのに脱税までされては税の公平性に著しく欠ける。とくに怒り心頭だった旧大蔵省の役人たちは政治家に働きかけ、医師特権剥奪を図り続けてきた。その結果、医師会と大蔵省はついに全面対決を迎える。